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久しぶりに、数年前に購入した時計を使ってみた。

通称デジアナと呼ばれるデジタルとアナログ双方の表示をする時計である。つまり針と液晶による時刻表示方法を持つ時計が一般的にデジアナ(アナデジの場合も有る)と呼ばれる。

その、アナログとデジタルとは何か。今回の主題である。

アナログは、連続した量を別の連続した量で表示する事で、対してデジタルは、状態を示す量を数値化する事である。簡単では無い・・

例に挙げるなら、グラフ表示で、量の変化を直線で示す事がアナログであり、秒単位で階段状に時間経過を示す事がデジタルである。
温度計(体温計)が解りやすいだろう。液体の温度計は、温度が上昇するにつれ、管内の液体が上昇する。グラフで示すなら、時間経過に合わせ温度が右上がりに上昇する事になる。これが、デジタル表示なら、温度の上昇に併せて、37.1℃→37.2℃→37.3℃と表示が上昇する。この場合、一定時間が経過するといきなり0.1℃温度が上がる事を繰り返す。即ちグラフで記載すると階段状になる。
これは、液晶表示には0.1℃以下の表示が無いから起こる。しかし、液体表示では、例えば37℃を指していたとしても、約37℃としか解らない。確実に数値化されていないからである。


最近ではTVも地上デジタル放送に切り替わり、画面が綺麗だという声も良く聞かれる。
しかし、これも正確には御幣が有る。音楽も同じで、デジタルとアナログではデジタルの方が音が良いというのは間違いなのだ。
アナログとデジタルの利点を理解していないといけない。私は多分、実際にはアナログの方が画像も音も良いと思う。
但し、それは環境に因る。日常で私達が気軽に親しむ分にはデジタルの方が優れているだろう。

先程のグラフの例をなぞるなら、アナログなら円を描く事が出来るが、デジタルでは円を描く事が出来ない。表現を変えるならアナログは円だが、デジタルは正多角形である。角形は頂点を増やす事で限りなく円に近付くが、結局円に至る事は永遠に無い。円周率が割り切れない理由である。しかし、頂点の数が決まっているなら正多角形は必ず正多角形だが、円はそれを保証出来ない。

つまりは、厳密にいうと時計は針の表示であろうと全てデジタルという事だ。(但し脱進機を用いないゼンマイ等の力をそのまま時刻表示としたモノはアナログである。砂時計等がこれに当たる。)

クォーツ時計は見てのとおり、秒針が1秒毎に動く。(こういった動きの針をステップ運針という。)つまり360度の円を60回の点で表示しているのだから正六十角形となる。
機械式も同様だ。5振動であれば、1秒を5回刻む。つまり1/5の秒毎に秒針が動く。正三百角形となる。10振動なら1/10。正六百角形だ。

クォーツでも水晶振動子によるスイープ運針(流れる様に動く秒針)と言われるモノさえ、正確には1秒に32768回振動している。正1966080角形となる。

結論を言うとスイープ運針さえステップ運針、つまり全てはデジタル表示なのだ。

では、結果的アナログとデジタル、どちらが優れているか?という事になるが、適材適所という他無い。
値の表現は圧倒的にアナログが上である。正確な値を必要としない直感的な値が知りたい場合は、アナログの方が良いだろう。
しかし、厳格に数値化したい場合はデジタルがやはり優れている。
音や映像も数値化すれば、その時点でアナログより質は悪くなっているが、数値化されている為、コピーしても劣化し難い(エラーも出難い)という大きな利点が有る。
つまりデジタルの方が扱い易い為、現在は様々な分野でのデジタル化が進んでいるだけに過ぎない。

だが、むしろアナログは概念であり、デジタルがこの世の中の常とも言えるのかもしれない。

連続している物質も、突き詰めれば原子という個体が連結しているのだから、実際には連続していない。
また波はアナログ的な存在だが、これも突き詰めれば点になるのではないだろうか?
この世に存在する全てのモノは、全て最小単位の何かで構成されているとすれば、それはデジタルという事に行き着くのだ。

人間の思考は0と1、つまりノーとイエスの間も存在するので思考自体はアナログなのかもしれないが、その根拠たる脳の演算はアナログなのだろうか?私達が体感している事象は、脳が処理したモノだが、基本はやはりデジタルの様な気がする。
生命の遺伝子プログラムさえ数値化出来る世の中なのだから・・

その為、巷ではデジタル人間・アナログ人間と、電子機器の取り扱いが得意か不得意かで、どちらかに分類する事をTV等で見るが、考えれば考える程段々と違和感を覚える様になった。

時計ひとつを眺めてみて、こんな思考を巡らす事が出来るのだから、やはり時計は、値段に関係無く面白い。次回は、このデジアナ時計を紹介しようと思う。