嫁の母方の祖母が亡くなった。享年92歳であった。
私とは全く面識が無いのだが、私も通夜と葬儀に参列させて頂いた。

式は浄土真宗本願寺派(御東)で執り行われた。
そして御寺様の有難い説教を聴いた。

浄土真宗本願寺派では、他の宗派と違い、亡くなられた方に付ける名前を「戒名」と言わず「法名」と言うそうだ。
しかし、元来これらは死者に付けられる名前という訳ではない。
戒名は、仏門に入った証明として、戒律を守っていくという誓いに対して与えられる名前である。
守るべき戒律とは、
不殺生戒。生物を殺してはならない。
不偸盗戒。盗みを働かない。
不邪淫戒。邪な感情を抱かない。
不妄語戒。虚言(嘘)を言わない。
不飲酒戒。飲酒しない。
の5つである。これは生者には確かに非常に厳しい事である。

浄土真宗本願寺派の教えでは、「凡夫たる衆生は、上記の戒律を守る事が不可能である為、阿弥陀如来の誓願によってのみ救われる、という「無戎」の教義である。それ故「戒名」ではなく「法名」を授かるらしい。
因みに法名には必ず「釈(釋)」の文字が入り、女性の場合は「尼」の文字が入る。釈迦の弟子となったという意味で釈の文字が使われているとの事。

私は宗教は全く信じていないのだが、こういう宗教毎の考え方の相違によって実際に儀式や名称等に違いが出るのは興味深い。
そういった意味では、浄土真宗本願寺派は、仏教を知らない者にとって、南無阿弥陀佛という念仏を唱える事で、罪人を含め全ての人々が極楽浄土へ往生し成仏するという教えは、救いで有り最も頼り易かったのではないだろうか?(戒律を守る必要が無い。)
やはり、信じる者はやはり救われるのだ。ひとつの心の拠り所が有るだけで人は安心出来る。死は誰もが逃れる事の出来ない恐怖なのだから。

私も死は怖い。死後の世界等は信じていないが、全てが無になるという事と考えても恐ろしい。宗教を信じていない私は考えない様にする事が精一杯で、後は悔いを残さず生き抜く事しか有るまい。

最後にもう一度冥福を祈ると共に、生きている喜びを分かち合おうと思う。