フランス国王ルイ16世、そしてその王妃であるマリー・アントワネットの両名は「Breguet」創始者であるアブラアン・ルイ・ブレゲの当時の顧客として有名である。
Breguetの歴史に必ず名前が挙がるマリー・アントワネットは、アブラアン・ルイ・ブレゲの重要な顧客であるだけでなく、「予算も期間も制限しない。最も複雑で美しい時計を。」という究極の時計の製作を依頼した事で知られる。
その時計こそ、1983年4月16日にエルサレムのメイヤー記念イスラム記念館(美術館)より盗まれ行方不明となっていた「Marie-Antoinette 癸隠僑亜廚任△襦F鹽戮叛い暴个觧?鰐気い任△蹐時計界の重大な損失と考えられていた。
「現在Breguetではニコラス・G・ハイエック氏の下、時計史上最高傑作である癸隠僑阿鮓渋紊磨瓦蕕擦襯廛蹈献Дトを進めている。またマリー・アントワネット所縁のヴェルサイユ宮殿の一角「Le petit Trianon」及びその周辺の修復に援助を行っているそうだ。数年後癸隠僑阿閥Δ謀??了僂領錣靴Le petit Trianonを拝む事が出来るかもしれない。Breguetの新たなる歴史ともに‥」
と「某宝飾時計店2」の投稿で述べていた。
そして、2007年11月に驚きのニュースが舞い込んでくる。Marie-Antoinette 癸隠僑阿発見されたというのだ。(画像1)
真偽は定かではないが、本物の可能性が高い様だ。復刻品が完成間近の出来事である。
この出来事に関してはかなり詳細が曖昧なのだ。真偽は勿論、誰が盗んだのか、誰が所有していたか、何故今発見されたのか?
とある女性のパートナーであった男性が所有者で、この男性は既に死亡しているので、実質的な現在のオーナーはこの正体不明の女性である。
金銭的な補償がなされるなら時計を返却するという事で「持ち主の名前を秘密にする」「全てのやりとりを弁護士経由で行う」という条件の下、メイヤー記念イスラム記念館に渡ったという。
本物の可能性が高い理由は、当時癸隠僑阿閥Δ謀霪颪気譴殖苅宛弔了?廚瞭發離▲屮薀▲鵝Ε襯ぁΕ屮譽穏遒離轡鵐僖謄ッククロックや19世紀初頭に作られたピストル・クロック等が一緒に発見されたからだと言われている。
更に、Breguetの顧客として有名なナポレオン・ボナパルト、その妹であるカロリーヌ、そしてナポレオンの第1婦人であるジョゼフィーヌもBreguetの顧客であった事が判明しているが、そのジョゼフィーヌの時計がオークションに出品された。(画像2、3)
彼女が使用し、後にナポレオンの弟ルイ・ボナパルトと結婚したオルタンスにこの時計を贈ったとされる時計で、Christie'sのオークションに出品され日本円にして約1億4300万円でBreguetが落札されたらしい。「時計4」の投稿の写真の同様にベースはSouscriptionであろう。美しいエナメル装飾と裏にモントレ・ア・タクトが備えられている。(同名の投稿参照)
2008年、Marie-Antoinette 癸隠僑阿離譽廛螢である「Marie-Antoinette 癸隠隠僑亜廚完成、「BASELWORLD」でニコラス・G・ハイエック氏が高々と掲げた時計こそ、癸隠隠僑亜現代に蘇ったマリー・アントワネットの時計である。(画像4、5)振動数や文字盤、脱進機等が違う完璧なコピーではない現代の技術で復活した新しいMarie-Antoinette。だからこそ發160でなく1160なのだ。
新旧の2つのMarie-Antoinetteが同時期に日の目を見たのは不思議な運命を感じずにはいられない。仕組まれた事かもしれないが。
そして今日2008年10月2日、Breguetが援助をしていたLe petit Trianonの復旧を終え、一般に公開される(画像6、7)。「数年後」がたったの1年数ヶ月とは私も予想出来なかった。
ここ数年はBreguetが古い歴史を再現し新しい歴史を作った年である。ハイエック氏の執念か、それとも私達の願望かは解らない。
唯、世界的な遺産を蘇らせるという事は、伝統を護りながらも革新を追求するBreguetには当たり前の事なのかもしれない。(特にフランス・スイスは。)
これでBreguetの大掛かりなプロジェクトの殆どが成功と言う形で終了した事になるが、ハイエック氏が今後Breguetをどうしていくかは見物である。
そしてMarie-AntoinetteとLe petit Trianonの復活に尽力したハイエック以下Breguetに感謝をしたい。
また、時計界の遺産Marie-Antoinette 癸隠僑阿鯏陲鵑聖?狼?擦覆い、その後の影の所有者が大切に扱っていた事、本人が亡くなり再び返却を考えた事は、嬉しい限りだ。本当に時計好きだったのだと解る。
この3つは私が死ぬ前に是非とも実物を拝みたい。