

稲刈りを終えた田圃で羽を休めているのは、白鳥の群れである。(画像1)
毎年この時期になるとやってきて、山間部や農村ばかりでなく、富山市内でも普通に滞在している。(尤も、富山市も十分田舎で、このように田圃が沢山存在するのだが。)
白い美しい姿が優雅に水面を滑る姿はやはり目を惹く。(画像2)また、白鳥は群れで生活しているので尚更に目立つ。
白鳥とはカモ科の7種の水鳥の総称であり、 日本にはオオハクチョウとコハクチョウが越冬のためにシベリアやオホーツクから渡来する。
2つ名前の由来は当然大きさの違いからである。
羽毛は全身白色であるが、個体によっては頭部や首が黄褐色を帯びているものも。上の嘴は黄色で先端が黒くなっている。下の嘴は全体が黒い。足も黒色。雌雄同色である。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作の童話「醜いアヒルの子」で有名な幼鳥は全身が褐色をおびた灰色である。
体重は10kgを越え、空を飛ぶ生物として限界の重さらしい。その為、離陸に助走が必要。
「日本書紀」・「古事記」に登場する日本武尊(倭建命)が死した後、「八尋白智鳥」となって天へ飛び立つ。八尋白智鳥は白鳥という説が有力である。
他にもピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲のバレエ「白鳥の湖」も有名だ。またギリシャ神話でゼウスが白鳥に化けたと伝えられている。はくちょう座の由来である。
白鳥は東西問わず、愛されているのだろう。穢れ無く力強い、そして何処と無く儚げな美しさが、神や死、復活という幻想に結びついたのかもしれない。「燕4」で取り上げた「鴉」とは有る意味対極にいながら共に神話で活躍する存在だ。白と黒、陰陽のような関係なのかもしれない。
やはり人は、空へ羽を広げて飛び立ちたいのだろうか?自分達の到達出来ない処に鳥は至る事が出来る。
「勇気一つを友にして」という歌を御存知だろうか。イカロスが蝋で固めた鳥の羽根で翼を作り、唯只管に飛んでいく。最後には太陽まで至り、その熱で蝋が溶けて羽根は舞い散り、結局イカロスは墜ちて死亡する。この題名である勇気が何なのかは未だ解らない。しかし、なんとなく気持ちは解るのだ。無謀かもしれない、蛮勇かもしれないが‥
私の勝手なイメージだが、このイカロスの持つ羽は白鳥の羽ではないだろうか?白く輝き、眩く散った羽と生命、夢。
白鳥を眺めてそんな事を考えた。