1791年、後にGIRARD-PERREGAUXと呼ばれる会社がジャン・フランソワ・ボット氏によってスタートし
、現在も尚一度も歴史を途切れさせること無く続く老舗ブランドである。実は日本とは切っても切れない深い関わりがあるブランドだ。時は丁度幕末、維新前日の日本に初のスイス人、フランソワ・ペルゴ氏が来日。正規ルートで輸入され、日本人に紹介された初のスイスメイドの時計こそが「GIRARD-PERREGAUX」のものだ。フランソワ・ペルゴ氏は日本とスイスの架け橋的な役目を担いながら、志半ばで横浜の地に没した。彼の功績が無ければ現在日本のスイス時計の代名詞である「ROLEX」等も日本にここまで根付くことができなかっただろう。日本におけるスイス時計の祖にあたる。
また、「Ferrari」の会長とGIRARD-PERREGAUXの会長が双方の製作に対する意識に対して意気投合、ブランド・ライセンス契約が成立し、Ferrariモデルを製作することになる。「フェラーリヘ捧ぐ」というスプリットセコンドクロノグラフを発表、その後も多くのFerrariモデルのクロノグラフを製作した。
(現在は契約が切れ、「PANERAI」がFerrariとライセンス契約を結んだ。イタリア繋がりか?)
このように時計ブランドとして一流のGIRARD-PERREGAUXだが、例によって私のブログでは時計以外のモノも紹介をしてみようと思う。今回は4回目。「Breguet Writing Instruments」に続き、時計ブランドの筆記用具だ。
GIRARD-PERREGAUXもBreguet同様、自社のモチーフをふんだんに取り入れた美しい万年筆を製作している。(写真1)
この万年筆は美しいハバナ・セルロイドのマーブルに巧くメタル素材がマッチして高級感を醸し出している。胴軸形状は丸みを持たせたスクエア。独特の雰囲気を作り出している。ピストン注入式でペン先は当然18K。太さはEF~Bまでの4種。
さて、もうお気付きの方もおられると思うGIRARD-PERREGAUXのモチーフについて触れていきたいと思うが、知らない方もおられるので先に、「スリーゴールドブリッジトゥールビヨン」について説明しよう。
スリーゴールドブリッジトゥールビヨンは、1897年にGIRARD-PERREGAUXの社名の基となったコンスタン・ジラール氏が、ムーブメントにゴールドを機能的に使用する方法を研究し誕生したものだ。トゥールビヨンは時計の姿勢によって重力の影響による誤差が生じやすい調速機構(テンプ、ひげゼンマイ、脱進機)を常に回転させ重力の影響を一定にしたもの。
当時は懐中時計が主流なので、どうしても常に下向きに重力を受ける。それを回転させる事で機構の運動を平均化させ、高い精度を保つ事が可能になった。また、当時はオイルの質も悪かったのでオイルを隅々まで行き渡らせる為にも役に立つ機構だったようだ。しかし、トゥールビヨンは超複雑機構の一つで、熟練した時計師にしか組み上げる事ができないミクロの技術が要求される。現在腕時計にこの機構を設けてあるものは平均1000万円という高額なものになる。(最近は価格破壊が起きていて多少安くなったようだが、それでも普通の生活をしている者には縁の無い値段だ。)
コンスタン・ジラール氏は、ムーブメントの構造や構成部品の形、材質にまで拘り、ムーブメントが時計の技術的要素であるという以外に見た目の美しさを表現する為の大切な要素と考えた。
そして3本のゴールドブリッジでムーブメントを固定した、見目麗しいスリーゴールドブリッジトゥールビヨンが完成したのだ。(写真2が懐中時計、写真3が腕時計)一機能であったトゥールビヨンが芸術にまで高められたのもここからではないだろうか?値段に恥じない壮麗なエクステリアを持った時計は、当時の貴族には好評だったと思われる。
この万年筆は、やはりそのゴールドブリッジをデザインしたクリップが目を惹く。中央には時計と同じくルビーが埋め込まれている点も嬉しい。キャップの天ビスにはトゥールビヨン・ケージが描かれている。創業年に因んだ1791本限定で、値段は\315,000。更に、値段は不明だがシルバー部分がYGになったものと、PGになったものが限定50で販売されている。シルバーカラーのローラーボールも存在し、こちらは限定400とのこと。私はYGモデルが最も「スリーゴールドブリッジトゥールビヨン」を体現していると思う。
万年筆用のボックス(写真4)も素晴らしい。これが書斎に置いてあるだけで雰囲気が変わるだろう。時計好きの方にも万年筆好きの方にも後悔させない作りだと思う。
貴方も歴史と芸術を切り取った珠の一本、是非使ってみては?