先に紹介したゲーム「BLACK/MATRIX」(コンピューターゲーム6参照)。
逆転した世界観により生み出された世界には、善悪についてだけでなく他にも考えさせられる点が多い。

その1つを取り上げてみよう。
物語後半のある2つの村。どちらも「BLACK/MATRIX」の世界では禁忌とされる「平等」を目指した村だ。
1つは、働いたら働いた分の報酬を与えることが約束された村。
1つは、村人全員が決められた仕事をこなす事で、同じ報酬、同じ公共サービスを約束された村。
どちらが良い村だろう?より平等だろうか?という選択を迫られるのだ。皆はどう考えるだろうか。

さて、この問い簡単に考えると資本主義と共産主義のどちらが優れているか、ということになる。
しかしゲームの世界では、かなり「原始」の主義なのだ。現代の社会保障が約束された世界ではない。

原始資本主義にあるメリットは、頑張って働くことで人よりも裕福な暮らしができる。当然能力のあるものが優れている事になる。働きに見合った報酬を受け取ることができるので、村が発展する。
デメリットは、貧富の差が生じる。特に、怪我をしたりして働けなくない者を待つのは死である。高額な医療を受けることはできないのだ。これにより、裕福なものはより力を得、裕福でないものはより苦しい生活を強いられることとなる。場合によっては奴隷制が「平等」の名の下に生まれる。

原始共産主義のメリットは、村人である限り同等の公共サービスを受けることができるので、怪我なども丁寧に治療してくれる。「一人がみんなのために、みんなが一人のために」働くことができる。貧富の差が生じず、皆平等な暮らしを保障される。
デメリットは、贅沢ができない。人より働いても意味がないので最低限の仕事しかせず村が発展しない。それがさらに怠け等に繋がる恐れがあり、伝染すると村自体が成り立たない赤字を負う。能力のある者は、同等の報酬に納得できず村を去る。

古いゲームのため、私の記憶を掘り起こしているので間違っている点や足りない点もあるかもしれないが、このような2つの村のどちらを支持するかを聞かれるのだ。

たぶん正解はない。しかし私の考えでは、理想は原始共産主義だろう。
人間は太古、集落を結成し狩りをしたりと生活を営んでいたが、皆が協力して獲物を倒し、それを皆で分けたはずだ。みんなが自分が生きるために協力したからこそ成り立ったのかもしれない。集落の存在は、自分が生きるためなのだから、手を抜くこともできない。そして、役割を分担したからこそ誰の手柄でもなく全員の手柄となるのだ。

では、現在の日本はどうだろう。資本主義を謳い、発展してきた。実際貧富の差は明確だろう。しかし日本という国は、働けない者にもちゃんと最低限度の生活を保障している。憲法に定められているのだが、基本的人権は義務を果たすことで、共産主義的な保障により保護されている。日本の「公共」は共産主義なのだ。

仕事でもそうだろう、社長ではないサラリーマンの貴方は、仕事に成功するとそれに見合う給料をもらえるだろうか?また、毎日怠けて適当に仕事しても、給料は上がらずとも減らないのではないだろうか?(リストラの危険はあるが)

日本の体質は共産主義なのであろう。私は法律や思想など難しいことは解らないが、ゲームによってこんなことを考えてみるのも面白い。皆も机上の空論である「平等」に思いを馳せてみては如何だろう。