脳梗塞は43歳の時だった。夏休みで、娘が小学校2年で、ダンナは出張中だった。朝から何となく左側の違和感があった。歩くと、上手く左足が上がらない。左手でコップを持つと落としかけた。
脳裏に脳梗塞か脳出血が浮かぶ。自分では色々な症状が前からあったのだ。体重が増加していた事、数年前から血圧の薬を飲んでない事。時々頭がいたい事、最近、足が異常にツル事、水を飲み込む時にむせる事など、いくつもの事が頭をよぎった。

まず、銀行で支払いなどの処理をしなければならない。
娘を預けるとなると、娘のリュックに2、3日分の洋服などを用意した。
そして、自分も即入院になる事を考え、2、3日分の着替えを用意する。

そして考えた、誰に一番に連絡をいれようか。
何か病気である事に間違いなかった。
高齢な両親には、ワンクッションいると思った。ホントに病気が判明してからにしょうと思い、ダンナに連絡しようとしたが、連絡したところで、直ぐには戻ってこれない距離。そこで3歳年上の兄に連絡をする。兄は両親の家の近くに一人で住んでいたし、私の家からも電車で30分の距離だ。有難い事に仕事が休みなので、夕方ではあるが電話をしてみる。症状を伝えると、30分で来てくれた。それから救急車で近くの総合病院へと向かった。
明らかに脳梗塞の症状だが、救急は確認するよりも、血圧の高さ、血糖値の高さを指摘し、多少、熱中症気味なので、点滴以外は、次の日に家の近くの病院に行って欲しいと伝えられた。
確かに何も出来ないのだ。自分で喋る事も出来、意識もあり、手も動かせる。

次の日は朝から近くの病院に兄と行くと、直ぐに検査機関のMRIを予約してもらい、その頃には母が家に来てくれたので、娘を置き、検査へ。
結果が出ると直ぐに検査技師の先生に、隣の総合病院へ直ぐに向かって欲しいと言われる。

病名 脳梗塞、しかも脳幹部だ。

やっぱりと思った。しかも脳幹部だとすれば、後遺症は覚悟した。しかも、糖尿、高血圧となので、約1カ月の入院をいわれるが、それは強制では無かった。ほんの少し脳幹部をかすっていたが、リハビリの仕方以外は近くの病院で治療できる事を提案された。
数日、血をサラサラにする薬を処方され、3日間集中して、リハビリ入院した。そう、運が良かったのだ。ただ、あまりにも肝臓の数値と糖尿のHba1cの値は10以上と高く、不摂生やストレスをどうにか治す様にしなければならなかった。インスリン治療や食事療法、リハビリとで、約半年で薬は飲んでいるが数値は平常値をキープし、身体の後遺症はほとんど気にならなくなった。ただ、嚥下症状や左への麻痺が少々残った位だ。

たから、タイトルにある様に、鬱、パニック障害、脳梗塞の薬は飲み続けているので、主婦だが、子育ても、主婦業もダンナにも手伝ってもらう事が多いので、ダメダメ主婦なのだ。