自分だけなんだと思うのは、多分、ダンナの影響だ。だがちゃんと病名を言われる状況を作ってくれたのもダンナだ。

思い込みなのだ。電車に乗っても窒息はしない。快速がダメならいつでも降りれる各駅停車に乗れば良い!

と休みになると、一駅又二駅と、順番に慣れる為に電車に乗る練習をしてくれたが10年もすれば、電車で無くても、自家用車なら!と、私は電車に乗れない人とレッテルをはられた。というより、全てを諦めたのだ。まだ子供もおらず2人で電車に乗って旅行する事も無かったから、そういう事実を彼が受け止めた。私はパニック障害だと思い初めていたが、どうやって証明したらいいのか分からなかったのだ。ズルズルと何もしないまま年月を過ごしていた。どうしても乗らないといけない時は、酔い止めを飲んで眠る様にして電車に乗っていた。

そして、年齢的にも、経済的にもと思った結婚して13年目にして妊娠がわかるのである。お互いの両親は諦めていたと思う。思えばダンナと大学で出会い19歳で付き合い初めて、25歳で結婚。なので、その時には、出会って19年は経っていたので、自分達に子供が出来、お互いが親になる覚悟は出来ていた。が、高齢出産だ。想像を絶する妊娠生活が待っていた。