丁度自分史20なので、ちょっと軽々しく色々な病気の名前をタイトルに付けているので、その事について。
タイトルには書いて無いが、多分、小さい頃から発達障害児であっただろう。今も、モノや人に固執したり、あまり勉強が分からなかったのは事実だ。時々ダンナにことわざを言われても、覚えた記憶さえない時がある。漢字などは年齢相応に読み書きは出来る様になったが、順序だてて他人に物事を説明する事は苦手だ。だから直ぐに皆んな最後は何が言いたかったのか分からないと言う。小4の娘も又、文章力や理解度に問題ありそうだが、そこはまだ発展途上だと少しだけグレーゾーンだ。昔は発達障害なんて、無かったから、大人になって考えてみたらもしかして?って思う人は増えている。今の子にとっては、早くに発達障害と言われた方が良いのか、分からないまま、自分が困らなければ、そのまま知らない方が良いのか、わからない。私の場合は近くのモノが見えにくく、視力は両眼2.0 、聴覚も聞こえ過ぎる位なので、問題無く病院に行く事は無かったが、そこは落とし穴だった。見え過ぎるのは異常、聞こえ過ぎるのはもっと疲れる事だった。

現在も尚、同じ症状だが、誰に言っても理解はされないものだ。外で、解体作業や、内装工事や、道路工事とかがあると頭の中で金属音が何重にもなってやってくる。気が休まらない。体調が悪い日は尚更だ。

うつ病と診断されたのは、15年位前だ。何度と無く繰り返すのがこの病気だが、ちゃんと診断され、それにあった薬を処方されたのは、娘が産まれる半年以上前の事だ。これはパニック障害も同じである。パニック障害はもっと前から症状がでていたのだ。電車には乗れなかった。乗っても各駅停車だ。
肺に空気が入っていかないような感じで、出入り口に立ち、意識がどこかに行きそうになりながら、次の駅に着くのをただひたすらに、願いながら待つ。しゃがみ込む事もしばしばで、貧血と間違えられた事もあった。タイミング悪く快速に乗った時そんな状態になり、ドア近くでしゃがみ込むと、優しい男性や、心配したおばあちゃん達が自分の席に座る様に声をかけてくれたが、パニック障害の人間にとってドア近く以外は空気が薄く、窒息しそうに感じてしまい、座る事は無理なのだ。

すみません。大丈夫です。

というのがやっとで、このまま居させて下さいと言おうとしても、ズルズルと引っ張っていかれる。死ぬ!死ね!やめて!心の中で叫び、必ずこの状況で阻止しなければいけないのは、電車を急病人の為止められる事だ。どんな状況になっても、決して電車はとめられたら困る。だから頭を切り替え、震えた声で、言うのだ。

ありがとうございます。次で降ります。

全然大丈夫ではないが、何度と無く経験していると、この言葉が勝手に出てくる。
とにかく電車やバス、エレベーター、飛行機なんて、乗る前から意識を飛ばしてほしい。その当時は自分の病気は異常なんだと思っていた。