水泳は、育成クラスからほとんど落ちる事無く、1級、シルバー、ゴールドと、小4までには全て終えていた。勉強に興味無かった私は、級が上がる事にゲーム感覚を覚え、初めて周りよりも優っている事で褒められ、この感情に満たされた時代が、今の今まででこの時期以外無いのだ。

今なら世の中で大人の発達障害や子供の障害に寛容で世にしられているが、私はずっと発達障害児だったはずだ。後々考えるとつじつまが合う。
小学校時代、怠けている訳でも授業を聞いていない訳でも無いのに、勉強という勉強は出来なかった。宿題も忘れていく事なくやったが頭にはなんにも残らなかった。眼が悪い訳でも無く、耳が聞こえ無い訳では無かったが、親にははっきり言ったかは今となっては水かけ論だが、何度か訴えた事は記憶にある。6年間、眼科検診は両目共に2.0。耳は良く聞こえた。いや、良く聞こえてすぎて、授業中、先生の声だけでは無く、隣の先生の声やチョークの音、校舎の横を通るトラックの音全てが耳に入ってきた。通常、人間の脳は注目しているものに焦点を絞り、耳に入ってくる仕組みだ。簡単に言うと周りが多少雑音があっても、集中すれば、注目している先生の声が大きく感じ、ちゃんと聞き分けているというわけだ。そう書くと、ただ集中力が欠けていたのではないかと理解される。そう思う人が当たり前の世の中であったのだから、今さらどう私が弁解した所で、私の学生時代には見え過ぎる、聞こえ過ぎる事は、見え無い、聞こえ無いよりも、全く問題視されなかったのだ。でも、少しだけ味わってもらえたら有難いのです。全ての音という音が耳に入り私の脳に刺さってくるのです。椅子を引く音、友達のページをめくる音、運動場では体育の授業で笛を鳴らしている。数え切れない音の中で、先生のここは重要だから覚えておくように!という言葉が囁かれているのだ。

そこで、前回までの従姉妹、祖母、両親、兄との関係性が私の発達障害による、分かって貰えない現状と、水泳以外の全ての事においての劣等感へと繋がる事となる。結婚してもなお、自信が持てない毎日を送っている。

眼は見え過ぎるという事はどういう事なのか?
小学校時代でいうと、遠くは見えても逆に手元が見にくい為、教科書をスラスラ読む事がとても苦手だった。しかも読め無いから漫画すら読む事を嫌がった。そうなると勿論、読み書きが出来ない。覚えていない訳では無く、脳に記憶されないのだ。今でも忘れる事が出来ない小学時代の出来事がある。
高学年になるとあまりにもスラスラ読め無い事に怠けていると思った父は、食事の合間に教科書を読んで見ろと言う。嫌だが読まないわけにもいかず、つたない感じでノロノロと読み始めた。勿論スラスラ読める訳も無く、最後のです、ます。でした。などの言葉を間違えて読むと、そんな事を何処に書いてあるんだ!と父に言われ、余計見えなくなる恐怖の中、何故読めないのかと自分が一番思っているにも関わらず、泣きながら教科書を読まされる。時には高学年にも関わらず、小学2年生の教科書を読まされた事もある。当然読めない。教育だと疑わなかった父は、忘れもしない一言を言うのだ。

高学年にもなって、基本の教科書も読めないのか!2年生の教科書をただそのまま読む事も出来ないのは何故なんだ!普通に書いてある通りによむだけだ。誰でも出来る事だ!何を作って読んでいるんだ!見えてないのか!

仕事人間だった父が勉強の事で言ったのは進路を決める時以外この時だけだと記憶している。
昔は週休2日制では無かったし、平日が休みだった父は、休みでも良く仕事でゴルフの日が多く、私達が休みの日曜日などは、ほぼ家にはいないし、帰ってくるのも遅かったからなのかは分からないが、家族で旅行や遊びに行った記憶や写真はほとんど無い。
だから余計にその時の記憶は何度となく頭の中で繰り返し覚え直され、決して消える事は無い。