ブログを始めるにあたって、最初に書いた事は必ず守ると誓っている。このブログ自体は嘘、偽りは書かないと。なので、時には、人として最低な考えや、行動を起こした事は、他人にとっては、不愉快と感じる人もいると思います。それはどうか許して頂きたいと思います。

前回からの続きではあるが、覚えている幼稚園はとても厳しかった。大人になってから聞かされたのは、父も通った普通の幼児学園で、どうやら今でいう保育園だ。なのに仕事をしていない母ではあるが、祖母と幼児学園との知り合い間で兄と私は入れて貰えたようだ。園内では数名いて、普通の人よりも園に納めるお金は多かったそうだ。
給食を残せば謝りに行かされ、音楽会、お遊戯会、遠足や勉強。やたらと行事が多かった記憶がある。友達との人間関係は良く、幼稚園を卒園しても今の今まで友達で居る子もいる。ただ、先生は厳しかった。音楽会にでもなると、休み時間を使って何度となく、繰り返し練習させられた。それが関係しているかは分からないが、その後何日も休む事になり、先生をより困らせていた事を覚えている。
後は、目の前の事に必死になるタイプの私は、身体を動かす事となると人一倍燃えた。ドッジボールをやると、ボールを自分が掴みたくて足元が見えないまま、手洗い場に突っ込んで頭を4針縫う怪我もした。怪我をする前までは、跳び箱を軽々と飛んでみせたり、鉄棒をぐるぐるまわるおてんば娘だった。
有り余る体力を何かに向かわせようと思ったのか、水を怖がらない私は、この時代に水泳と巡り合う。この水泳との出会いはこの後の人生において、多大なる影響と、過ちをおかす事になる。