これまでの経過はコチラ→すなおな半生
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先日、片付けをしていたら、当時の手帳が出てきました。
なかなか手帳や弁護士さんを依頼してからのやり取りの資料や元旦那からの手紙などは捨てられずにいます。
改めて目を通して見ると、結構忘れている部分も多く・・・
忘れれるなんて、私って幸せ(´∀`)
なーんて思います。
前回のすなおな半生 ~娘出産&離婚に向けて編~
にもう少し詳細を付けたしたいと思います。
帰る自信がないことをメールで伝えた後
5月19日(土)
朝から元旦那から電話が鳴る。
朝1本目を出て話し合うが、話は進まず堂々巡り。
その後も何度も着信するが携帯&家の電話に出れず、家の電話の線を抜く。
5月20日(日)
元旦那突然訪問。
また同じ話の繰り返し。
仕舞いには息子を新幹線で兵庫に連れて帰ると言いだす。
5月21日(月)
元旦那の母訪問。
息子の不甲斐無さを謝罪される。
心配して息子の家を訪ねると、電話に出ない私のせいで暗がりの中一人明かりもつけないで固まっていたと知らされる。
私の心の整理がつくまで待つとし、兵庫へ帰ってきたら同居することで話がまとまり帰られる。
5月24日(木)~25日(金)
深夜、待ちきれないのか、元旦那から携帯&家の電話が鳴り響く。
話しても解決はせず。
その後、携帯の着信拒否、家の電話の回線を抜く。
弁護士依頼を考え始め、知り合いの弁護士さんへ電話。
5月31日(木)
心療内科を受診。
元旦那からの電話での精神ストレスにより、診断書を作成してもらう。
どうしてこんなことになったのか?という話を聞いてもらい、
何がいけなかったのか?これからどうしていきたいのか?
って言うことをお話ししました。
結局、私の意志、自己主張が弱かったのが原因でした。
離婚するなら、これからはあなたが経済力をつけなきゃいけないのよ!
働いて、子供を養っていかなきゃならないのよ!!
ってお話をされました。
6月2日(土)
夕方、元旦那、両親と私と両親で両家の家族会議をしました。
着くなり、かなり威圧的な態度の元旦那。
決して二人きりになりたくはなかった。
話し合いの結果、私から連絡が来るまで、元旦那からの電話やメールはしない約束となりました。
6月4日(月)
夜、元旦那の父親から電話がありました。
私と元旦那はうまくコミュニケーションのキャッチボールが取れてないんだとか話され、なぜかその後には元旦那に変わる羽目に・・・。
ここで、もう離婚を望みますって事をハッキリと旦那の父親にも申し上げました。
約束から2日しか経っていませんでした。
6月5日(火)
離婚についてどうにかならないかと元旦那の母から電話が入る。
精神的にかなりダメージを受けていて心配。精神科への受診を勧めると、そのことが職場に分かってしまうじゃないか。とか、仕事でミスをしないだろうか・・・。とか。
次第に、唯一理解していてくれると思っていた元旦那の母親まで私を責めるようになって行ったのでした。
こんなんじゃ、誰一人、理解してくれる人がいない兵庫へは帰れないと確信。
離婚を決意したのでした。
6月6日(水)
協議離婚には断固として応じてもらえず・・・
以前から考えていた弁護士さんに話を聞いてもらうように予定していた朝、突然元旦那が訪問してきました。
弁護士さんの所へちょうど行く時だったので、そうとは言えず、寝不足で疲れ切った様子の元旦那を母は家で休ませ、その間に弁護士さんの所へ。
一通り、話を聞いてもらい家に帰ってくると、憔悴しきっている元旦那は今のソファで休んでいました。
今までの威圧的な態度とは違い。本当に疲れているよう。
そんな中、また話し合いをしました。
反省と言葉と謝罪。
いくら言われてももう心に響いてこないのでした。
ただ、うちの母が
「あなたの体は大丈夫なの?」
と問いかけた時、元旦那は
「はい。大丈夫です。自分でも不思議なくらいそういう時こそ(興奮状態の時)何を言ったら相手が一番嫌がるかと言うことを冷静に考えることができるんです。」
と言う返答をしました。
この言葉を聞いた瞬間、私と母は顔を見合わせビックリしたのでした。
でも、この日が一番、冷静に話し合いが出来たんじゃないかな?
かなりビックリな言葉も出てきましたが・・・。
そして、私は離婚を決めたのでした。
とりあえず、元旦那の突然の訪問・電話攻撃から身を守るべく、弁護士さんをお願いすることとなりました。
夫婦関係調整・離婚請求・養育費請求 委任 6月7日(金)