8月の妊娠発覚から結婚を決めて11月末に神戸にある異人館でのレストランウエディングを挙げました。
結婚と言っても、まだまだ私自身仕事もしてましたし、準備も妊婦が毎週末になると新幹線に乗って兵庫までいき、打ち合わせや話し合い。
今思うと、何事もなくよくできたな!って感じます。
どのカップルもそうなのかもしれないけど、結婚準備途中、私の場合はマリッジブルーなのかマタニティーブルーなのか、一度、結婚そのものをやめようとした事がありました。
結婚式を取りやめ、未婚の母になろうと思ったことも。
原因は二人のいざこざだったのですが、母に相談した時、何も訳は訊かず
「一度、結婚生活やってきてみなさい。ダメだったら戻ってこればいい。
あなたの帰る場所はここにあるのだから。」
って言われました。
その言葉の後押しがあったからこそ、私は結婚に踏み出せた。
一度やってみようって。
仕事はその年末まで続け、妊娠6カ月まで働きました。
仕事も無事退職し、いざ新婚生活へ。
一緒に生活し始めると、かなり見栄っぱりの彼は結婚式を挙げただけでは納得せず、次は新婚旅行へ。
結婚式のお金でさえ、自分たちで用意できず、親たちに出させておいて、次から次へと欲望をあらわにする彼でした。
最初は海外に行くって言ってたけど、妊婦だし親からの心配もあったのでなんとか国内旅行。
と言っても、沖縄の離島へ行きました。
言い様によっては、彼のお陰で人生初めて石垣島には行けました。
なんだかんだ妊婦&新婚生活が過ぎ、出産一カ月前、里帰り出産のため実家へ。
息子が産まれてからは子煩悩な父親の一面もありましたが、やっぱり子供ってうるさい時もある。そんな時は機嫌がかなり悪くなり、全て私のせいでした。
息子が産まれてからも、正月と盆はよく愛知の実家にも帰ってました。
その間の生活費(食費)もしっかり置いて来なきゃいけないのと、時には新幹線で兵庫に帰ってきてたので、それでお金がないって良く言われました。
普通なら、実家で世話になる間のちょっとしたお金も必要だとは思うんだけど、そんなことはお構いなし。残された自分がどうやって生活するかってことしか考えられない人でした。
私は年に数回の帰省と息子の写真を実家に送るのが結婚生活での楽しみでした。
モラハラ夫編へ続く~