※日本語読めるし書けます。

あ~…(ToT)
なんか今っていうか帰国後ずっと、恒例のすっごく強烈なブラジル・シックが襲って来ています。
ホーム・シックにはならない(^^;)というのに何故?
あちらで出会った数え切れない笑顔たちや、心の交歓、ユーモア、ダンス、超楽しかったちょっとしたやりとりが忘れられない。最後の方はシンチァに電話してきたナーリョくんと超テキトー・ポルトゲース(迷惑?)で喋って通じあえちゃってたりしてた。なんでだ(^^;)二年前に比べると少しは進歩したかな?あぁもっと勉強して会話できるようになろう!なりたい!甘い、あま~いポルトガル語…あっ、スペイン語もねっ☆←混乱必至、てかもうしてる…(^^;)

こんなに、こんなにBRASILが恋しいのは、帰ってきた途端、悲惨な事件ばかりがメディアに氾濫していて、気が滅入るせいもあるかな。あちらで仕事をもち、生活したらまた違うんだろうか。
日本って「こうしなきゃいけない」「こうであらねばならない」が強すぎて、だから人がおかしくなりやすいような気がする。もちろんそれにはプラス面もあって、だからこそこんなに巨大な社会システム全体がたぶん世界一そつなく機能し続けているわけだろうけれども。

ブラジルやNYでは、小さな狂気は難無く赦され、受け入れられ、もしくは看過されやすい。歌ってたり、踊ってたり、ハッピーで無害(たまにうるさすぎるが)なものなら尚更。それによって気軽なコミュニケーションが生まれることさえある。ユーモアやジョークのネタも、許容範囲が広く感じる(セクハラに過敏なUSAはそれほどでもないのか?)。何がなくても幸せになるコツを知っているような…でもそれだから日本みたいな高度経済発展がありえず、貧しい国という印象を拭えないでいるのかもしれないが。ブラジルはいろんな意味でとても豊かな土地だ、と私は思う。教育問題とかスラムだとかいろいろあるけどさ。

日本では、それ(軽度狂気行動)は余程小さな子どもにしか赦されない。それすらも封じ込められがちだろう。野放しにするのがよいわけではないけれど。街角の唐突なコミュニケーションは、8~9割方が営業・勧誘かナンパで、しかも余裕が感じられない。だからほとんど避けて通る人々が大半で、気軽なコミュニケーションは更に失われていく…ように見える。

もちろんNYやブラジルでだってそれらはある。でもどこか気持ち余裕があったりする。相手の気持ち、どうしたらお互い心地よいかを察する余裕。そしてユーモアや愛嬌が生まれる。(あ、二年前リオで出会った物乞いは切羽詰まってる風だったなぁ(^^;)←さすがにシカトして逃げちゃったw。

そう、「人間なんだもの、お互い様…だからできるだけハッピーでいられる方向を、一緒に柔軟に探っていこう」という感じ…それがわりと普通にある向こう。ルールがないわけではないけれど、もしかしたら条件はとてもシンプルで基本的なことだけ、かもしれないと感じる。
じゃあ日本で強く感じるのは、というと、「こうあるべき」「自分に甘く他人に厳しい」「自分に厳しく他人にも厳しい」と、こんなとこかな。とりあえずルールをまず真っ先に守れば皆常識的なレベルでそこそこ幸せになれる、それが当たり前…って感じ?それもいいけど、少ぉしだけ違和感があるんだよねぇ。うまく言えないけど。ルールが多すぎて厳密すぎて幸せの定義が狭い常識が蔓延っている気がするというか。何気ない無意識の中の常識みたいなものによって、コミュニケーションのやり方や人に与える印象はとても変わるだろうと思うんだけど…

もちろんそれぞれに真逆な人々だっている。そして、私の中にも、これら両方ともがあると自覚している。また、これは、ただ単に自分がそういうこと(軽度狂気行動)を日常的にやる人にぜひなりたい!wというのでもなくて、帰国後の雑感に過ぎない。


…いや、無自覚にしてることはあるかも…(-_-;)
私どこでも誰にでもよく道とか聞かれるタイプみたいだから大丈夫、か、な?…(不安w)

いろんな方向から、自戒もこめつつ…
今はとりあえず自分のやることきっちりやるようがんばらねば!o(>_<)o