昭和60年9月11日は水曜日で、東京は一日中、曇り空の天気だった。
お昼のニュースで女優夏目雅子の死が報じられた。夏目雅子はその年の初めに舞台「愚かな女」に出演している最中、体調不良から舞台を降板、慶應義塾大学病院に入院していた。
診断名は急性骨髄性白血病であったが、本人には極度の貧血と伝えられていたらしい。ただ、私の記憶では、夏目雅子が急性骨髄性白血病であることは一般にも知られていた気がする。ただ、命に関わるほどだとは思っていなかったけれど。
夏目雅子の死の数日前、たしか東京スポーツだったと思うけれど、病室の夏目雅子を隠し撮りした写真が掲載された。その記事をみて、病気が急性骨髄性白血病であることを本人が知ってしまい、そのことが死期を早めたのだと、夏目雅子の死の直後、すなわち30年前の今日の午後に行われた会見で、のちに田中好子の夫になる夏目の兄は怒りのコメントを口にしていた。
夏目雅子の女優デビューは、昭和51年の秋に日本テレビ系列で放映された昼の帯ドラマ「愛が見えますか」であった。盲目のヒロインが殺人事件に遭遇してしまうというストーリーのこのドラマで、拙い演技力の彼女は数えられないほどの回数のNGを繰り返したと言われている。
その少し前、たぶん8月の終わり、中学2年だった私は父の事務所に電話番に行き、積み重なっている週刊誌に読みふけっていた時、「週刊読売」だったか「週刊サンケイ」だったかの最終ページのグラビアに、東京女学館短大1年生の「小達雅子」という女子大生が載っているのをみつけた。その女子大生は、この秋から昼の帯ドラマの主役を務めるということだった。私は何となくその女子大生が気になって、父の事務所から彼女が載っている「週刊読売」だったか、「週刊サンケイ」だったかを持って帰った記憶がある。
東京女学館短大1年生だった小達雅子が、「夏目雅子」という芸名で、一躍人気を得たのは、翌昭和52年夏のカネボウ化粧品のキャンペーン「クッキーフェイス」のCMに起用されたためである。日に焼けた素肌の夏目雅子が、ほぼ裸体に近いような小さなビキニをまとって、さっきまで砂に寝転んでいたという設定だったのだろう、落ちずに砂が残る茶褐色の肌に、汗の滴をはじかせながら、大きな口元から白い歯を輝かせて、ダイナミックな走り方で砂浜を駈けて行く。そんな映像だったと思う。
「そんな映像だったと思う」という書き方をしたのは、不思議なことに、中学3年の夏だったにも関わらず、私は夏目雅子のクッキーフェイスのCMをリアルタイムで見た記憶がないのである。
映像は、これだけ話題になったCMだから、しばしば目にすることはできるし、たしか、あの当時も早くもCMは話題になり、新聞で取り上げられていたような気もする。
それなのに、どうしてもクッキーフェイスのCMはリアルタイムで見た記憶がないのである。
早世することになる夏目雅子はやはりどこか影が薄いところがあったのだろうか?
たしかに、同時期の資生堂の夏のキャンペーン、「サクセス」のティナ•ラッツも憶えていないと言えばいないのだけれど。
その夏目雅子が最後に所属していた芸能事務所が其田事務所だったのである。
お昼のニュースで女優夏目雅子の死が報じられた。夏目雅子はその年の初めに舞台「愚かな女」に出演している最中、体調不良から舞台を降板、慶應義塾大学病院に入院していた。
診断名は急性骨髄性白血病であったが、本人には極度の貧血と伝えられていたらしい。ただ、私の記憶では、夏目雅子が急性骨髄性白血病であることは一般にも知られていた気がする。ただ、命に関わるほどだとは思っていなかったけれど。
夏目雅子の死の数日前、たしか東京スポーツだったと思うけれど、病室の夏目雅子を隠し撮りした写真が掲載された。その記事をみて、病気が急性骨髄性白血病であることを本人が知ってしまい、そのことが死期を早めたのだと、夏目雅子の死の直後、すなわち30年前の今日の午後に行われた会見で、のちに田中好子の夫になる夏目の兄は怒りのコメントを口にしていた。
夏目雅子の女優デビューは、昭和51年の秋に日本テレビ系列で放映された昼の帯ドラマ「愛が見えますか」であった。盲目のヒロインが殺人事件に遭遇してしまうというストーリーのこのドラマで、拙い演技力の彼女は数えられないほどの回数のNGを繰り返したと言われている。
その少し前、たぶん8月の終わり、中学2年だった私は父の事務所に電話番に行き、積み重なっている週刊誌に読みふけっていた時、「週刊読売」だったか「週刊サンケイ」だったかの最終ページのグラビアに、東京女学館短大1年生の「小達雅子」という女子大生が載っているのをみつけた。その女子大生は、この秋から昼の帯ドラマの主役を務めるということだった。私は何となくその女子大生が気になって、父の事務所から彼女が載っている「週刊読売」だったか、「週刊サンケイ」だったかを持って帰った記憶がある。
東京女学館短大1年生だった小達雅子が、「夏目雅子」という芸名で、一躍人気を得たのは、翌昭和52年夏のカネボウ化粧品のキャンペーン「クッキーフェイス」のCMに起用されたためである。日に焼けた素肌の夏目雅子が、ほぼ裸体に近いような小さなビキニをまとって、さっきまで砂に寝転んでいたという設定だったのだろう、落ちずに砂が残る茶褐色の肌に、汗の滴をはじかせながら、大きな口元から白い歯を輝かせて、ダイナミックな走り方で砂浜を駈けて行く。そんな映像だったと思う。
「そんな映像だったと思う」という書き方をしたのは、不思議なことに、中学3年の夏だったにも関わらず、私は夏目雅子のクッキーフェイスのCMをリアルタイムで見た記憶がないのである。
映像は、これだけ話題になったCMだから、しばしば目にすることはできるし、たしか、あの当時も早くもCMは話題になり、新聞で取り上げられていたような気もする。
それなのに、どうしてもクッキーフェイスのCMはリアルタイムで見た記憶がないのである。
早世することになる夏目雅子はやはりどこか影が薄いところがあったのだろうか?
たしかに、同時期の資生堂の夏のキャンペーン、「サクセス」のティナ•ラッツも憶えていないと言えばいないのだけれど。
その夏目雅子が最後に所属していた芸能事務所が其田事務所だったのである。