30年前の1月23日は松田聖子が郷ひろみとの破局会見を行った日。のちに「生まれ変わったら一緒に」という発言が有名になったあの記者会見である。

その記事が一面を飾ったスポニチを買って、私は翌日、つまり1月24日、朝からアルバイトに出かけた。学年末試験期間ではあったが、学費値上げ問題で学部がストライキに入っており、試験は中止になっていた。空いた時間を私はアルバイトで埋めることにしたのである。結局、学年末試験は4月上旬に数日間で10科目以上受けなければいけない状況になった。そして、その試験期間中、松田聖子と神田正輝の婚約が発表されたのである。

30年前の今日、つまり昭和60年1月24日、スポニチの一面を読みながら、私はなぜか泣けて仕方がなかった。繰り返し浮かんで来たのが、聖子の「蒼いフォトグラフ」のここだった。

次にだれか好きになっても
こんなピュアに愛せないわ

聖子と郷ひろみの交際にあまり関心は持てなかったが、それでも、「赤いスイートピー」以後を聖子の本当の黄金時代と言ってよいなら、その時期あたりから聖子と郷ひろみの結婚の話題に現実味が出てきたような記憶がある。そして、この聖子の黄金時代は私の大学時代に重なるのである。

いま、学費値上げによる学部の一斉ストライキの期間に交通整理のアルバイトをしている私は、聖子の破局会見の記事を読んで、聖子の黄金時代の終焉と、自分の大学生活の終わりをなんとなく意識するところがあったのだと思う。私はあのときの自分の涙の理由をそんなふうにいま解釈するのである。

けれども、聖子はこのあと、「天使のウインク」で黄金時代の最後の輝きを放つことになる。そして、6月24日、東京が土砂降りだった日、ホテルニューオータニで結婚披露宴を行うのである。

さて、岡田有希子である。

聖子の最初の結婚が岡田有希子に与えた影響は小さくない。
次回から昭和60年前半の岡田有希子をみていこう。