30年前の今日は昭和59年11月5日の月曜日で、このブログの最初のほうにも紹介したが、岡田有希子は、その日、W大学の文化祭にやって来たのだった。

それは日の暮れたあとの時刻だった。観に行った後輩が写した写真に、夜のキャンパスに作られた舞台で、照明を浴びた岡田有希子が、バックバンドを従えて歌ったり、Vサインをしたり、ファンの質問に答える姿をみることができる。

11月の日が落ちた後の時刻。おそらく午後6時頃だったに違いないが、写真の岡田有希子は袖無しのドレスを着て、しかも汗を光らせているのである。

レコードデビューから半年過ぎたばかりの彼女がこの日歌うことができた持ち歌は、「ファースト•デイト」「リトルプリンセス」、そして、「Dreaming Girl 恋、はじめまして」ぐらいだった。


さっき、youtubeで、「三枝の美女対談」に出ている岡田有希子を久しぶりにみて、デビュー1年目、昭和59年の岡田有希子の明るさ、そのフレッシュさは、群を抜いていると感じる。私は誰かが、「昭和59年の岡田有希子」という企画を立てないか、密かに期待しているところもあるのである。

ただ、その昭和59年の岡田有希子の明るさ、フレッシュさに、不自然さ、違和感、どこか無理しているという感じを抱く人も、当時いたにちがいないと思う。

岡田有希子は、デビュー直前、自分が「要らない子」ではなかったのかと日記でぼやいたりしている、そういう、自分を取り巻く状況に過敏で、自意識過剰な面があり、また、「三枝の美女対談」で元々が噺家の桂三枝相手に「新人の割によく喋る人ですねえ」とコメントさせるほど、ときに鈍感なほど、状況が見えなくなってしまう人間でもあった。


この昭和59年11月5日からちょうど1年後、昭和60年11月5日は火曜日で、TBSドラマ「禁じられたマリコ」の放映が始まった日であった。

私は岡田有希子の死の原因は、やはり指摘される俳優との恋愛感情が原因になっていると感じる。

さきほどの「三枝の美女対談」でも、好きな異性のタイプを問われて、最初、「優しくて頼れて、心が広くて、あったかくて…」と並べた後、三枝に、「まあ、みんなおんなじですわ」という意味のことを言われてあきれられかけた後、いやそうじゃなくて、という感じで、あっさり手の内を明かすようにすぐに付け加えたのが、「ちょっとキザで」「ちょっぴりからかってくれて」「お兄さんのような人」というものだった。「年上の人がいいです」という言い方を最後にはしていた。

このあたり、役柄に過ぎないとはいえ、岡田有希子が恋に落ちたその俳優のあの当時のイメージを並べているように私は感じるのである。