しかし、衆議院総選挙が公示。

注目の日本未来の党の代表は、滋賀県知事在職のまま新党の代表を務める嘉田由紀子氏。

「嘉田由紀子」というお名前。

勘のいい方にはもうおわかりか。

もし、その「嘉田由紀子」というお名前の先頭に、「お」を加えたなら。…


おかだゆきこ!


今日から、嘉田代表のことを「ユッコ」と呼んであげることにしよう。

それはムリか。



話が飛んでしまった。


昭和58年7月3日、日曜日。

岡田有希子に生まれ変わろうとする直前、名古屋市立向陽高校1年生•佐藤佳代は、堀田あけみの文藝賞受賞作『1980アイコ十六歳』の映画版『アイコ十六歳』の主演オーディションの最終審査に、この日、臨んだのだった。

現在、私のような40代後半から50代の人であれば、映画版『アイコ十六歳』のオーディションに合格して主役の座を勝ち得たのが誰か、知っている。

それは岡田有希子ではなかった。

もちろん、嘉田由紀子でもないけれど。

しつこいか。


127,000人の応募者(うちの妹も含め)のなかから主演女優の座を射止めたのは、星座•血液型に限れば、「獅子座•O型」の岡田有希子とは正反対のタイプといっていい、「うお座•AB型」の中学3年生、この時点ではまだ14歳になって間もない少女だった。

そのひとの名は…

富田靖子


奇遇にも、佐藤佳代が、デビューに際して、まもなくもらうことになる芸名は、当初、「岡田晴子」という名前だった。


富田靖子と岡田晴子。


字だけ眺めると、なんとなく似ている。


ところで、映画版『アイコ十六歳』のオーディションを通過してこの作品でデビューした女優が、富田靖子の他にふたりいた。

それが松下幸枝(松下由樹)と宮﨑ますみである。

宮﨑ますみは岡田有希子と同い年、同じ名古屋市出身で、当時は名古屋の椙山女子学園に在学中だった。のちに転校した堀越学園で、岡田有希子とクラスメートになる。

岡田有希子と宮﨑ますみ。

名古屋の話題で盛り上がっただろうか。

宮﨑ますみのほうがすっと年上のような印象があるけれど。



さて、あれほど出たかった映画版『アイコ十六歳』に出演することがかなわなかった佐藤佳代は、その失意の思いを日記にどのように書いているだろう。

次回はそれを見ていくことにしよう。