昭和60年5月3日の憲法記念日は金曜日だった。
東京は一日中曇り空だった気がする。

日本テレビの午後のトーク番組「おしゃれ」は、平日の午後1時15分から15分間放映されている。昭和60年5月3日放映の「おしゃれ」のゲストはデビュー2年目を迎えたばかりの岡田有希子だった。この日、彼女は、司会者に問われるままに、ここ何回か取り上げて来た、「スター誕生!」決戦大会を前に母が課した「佳代にとても出来ないだろうと思われる三つの条件」について語っている。

ちなみに、「おしゃれ」は昭和49年に放送が始まり、初代の司会者は俳優の三橋達也とフジテレビ「小川宏ショー」のアシスタントで人気だった松村満美子が務めた。その後も俳優が司会を担当したが、昭和55年のリニューアルにあたり、前年TBSを退社してフリーになっていた久米宏が起用された。したがって、岡田有希子が出演した日の「おしゃれ」の司会者は久米宏だった。

約1年前の昭和59年5月31日、「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に岡田有希子が出演した際、デビュー曲「ファースト•デイト」を「ファーストレデイ」、「有希子」を「うきこ」と間違えたのが久米宏だったが、はたして、岡田有希子は1年前のそうしたディティールを記憶していたかどうか。それぐらい、目まぐるしい出来事が、この1年のあいだに彼女には起きていた。付け加えれば、「おしゃれ」出演から1年も経たない、昭和61年4月8日、岡田有希子は突然、この世を去るのである。

久米宏は、この日の少し前、昭和60年4月をもってTBS「ザ•ベストテン」の司会を降板していた。そして、この年の10月7日、彼が初めてニュースキャスターに挑戦するテレビ朝日「ニュースステーション」が鳴り物入りでスタートするのである。

一方、岡田有希子の事務所の先輩である松田聖子は、9日後の5月12日、大阪城ホールでコンサートを行い、この日を最後に、神田正輝との結婚のために、しばらく休業に入るのである。

そんな背景を少しだけ念頭に置いて、読み進めていただければ幸いである。

昭和60年4月17日に発売された岡田有希子の5枚目のシングル「Summer Beach」が流れるなか、「おしゃれ No.2862  有希子の星型コレクション」とタイトルが映し出される。
久米宏のアシスタントは日本テレビアナウンサーの菅家ゆかりである。

中央の丸い灰色のテーブルを前に3人が腰掛けている。岡田有希子が、画面にむかって右端、久米宏が左端に。久米の左隣にすわっている菅家ゆかりは、テーブルが円いせいで、やや奥に位置して見える。

久米宏が、午後のこの時間帯ということもあるのだろう、あるいは祝日ということもあったのだろうか、「ザ・ベストテン」や、のちの「ニュースステーション」とはちがう、TPOで使い分ける彼の、FM放送のディスクジョッキーのような余裕を感じさせる、穏やかな口調。久米宏は、この日の放送をこんな風に開始する。



久米  え~、有希子ちゃんの「Summer Beach」をBGMにしまして…

菅家  はい。

久米  え~、ご存じじゃない方のために、歌手、17歳、昭和42年生まれの(菅家ゆかりがここでも「はい」と相づちをうつ)岡田有希子ちゃんを簡単にご紹介いただけますか。

菅家  まず、ご出身が愛知県の一宮市で…

有希子 はい、そうです。(カメラが岡田有希子に切り替わって、画面の下に「歌手 岡田有希子」と紹介される。)

菅家  そこで、あの、中学2年のときにですね、ずっとあこがれていた歌手になりたいと、「スター誕生!」というオーディション番組に応募しまして、そこで見事決戦大会に出場するという資格を得たんですけれども…



カメラは並んでいる久米宏と菅家ゆかりをとらえ、画面の下には両者の名前が。すっかりくつろいだ感じで、菅家にもたれるようにして話を聞いている久米宏は、ここで、長い指の、手の甲の側をアゴにあてたまま、菅家を見ながら「ほおー」と一言。



菅家  もう、ご両親がねー、かわいい、こう、有希子ちゃんですから、心配で、大反対。

久米  僕が親だったら反対しますよお、親は…。う~ん。

菅家  でも、やっぱりね、もう有希子ちゃんは、絶対なりたいっていうんでハンストをしたんだそうですよ。

久米  …はあ。(ハンスト?)

菅家  もうねえ。それでまあ、ご両親も「まあ、しょうがないだろ」。でも三つ条件を出す、と。ひとつは…



久米宏は、1年前、「ザ・ベストテン」に岡田有希子が出演した際、岡田有希子の芸能界入りをめぐる一連の出来事を黒柳徹子といっしょに聞いているし、その後も岡田有希子とは仕事をしているので、このあたりのエピソードは承知しているはず。

だから、「僕が親だったら反対しますよお、親は…。う~ん。」と口を挟んだり、「…はあ」と驚いているのは、冒頭でわざわざ断っているように、自分は知っているけれども、「ご存じじゃない方のために」話を合わせている、つまりは演技なのだと思う。そういえば久米宏は大学時代、演劇部だったっけ。

それにしても、岡田有希子を紹介しようとすると、なぜ誰もがこうなってしまうのだろうと理解に苦しむのは、黒柳徹子、久米宏に続いて、日本テレビの若手美人アナ菅家ゆかりも、間違いを犯すことから逃れられなかったことだ。

菅家ゆかりは、岡田有希子が「スター誕生!」に応募して、決戦大会に出場する資格を得たことを、こう紹介している。


そこで、あの、中学2年のときにですね、ずっとあこがれていた歌手になりたいと、「スター誕生!」というオーディション番組に応募しまして、そこで見事決戦大会に出場するという資格を得たんですけれども…


この説明では、岡田有希子が決戦大会に出場する資格を得たのは「中学2年のとき」と受け止めるのが普通だと思う。

これは事実と違う。

ハガキを出し始めたのは中学2年のときだが、実際にテレビ予選に合格して決戦大会出場の資格を得たのは中学3年の秋のことだ。だから、高校受験と決戦大会とどちらを取るかという選択を岡田有希子は迫られ、周囲に反対されてハンストを実施したり、母から「佳代にはとても出来ないだろうと思われる三つの条件」を課せられたりしているわけだ。

おそらく、菅家ゆかりは、「中学2年のときにですね、ずっとあこがれていた歌手になりたいと応募ハガキを出し始め、中学3年になって、ようやくそれが通りまして、それで予選を勝ち抜き、見事決戦大会に出場するという資格を得たんですけれども…」と言いたかったのだろうと思う。


そして、「三つの条件」が明らかになるのは、この直後のことだ。