筋肉の痛みとキネシオテープ

誰でも歳を取ってくるとあちこちが痛くなる。腰や膝が典型的だが幸いなことにまだ膝は大丈夫だ。頚椎を含む脊椎や関節など、骨と骨の接続部が痛くなることが多く、大部分の人は「関節の障害」だと思っている。しかし「若干の関節異常とほとんどは筋肉の障害」であることに気付いていない場合が多い。つまり筋肉の衰えで、関節周辺を支えきれなくなって、筋肉痛が起きていることが多いのだ。
私の場合で中年以降に経験したのはいわゆる「五十肩」数回と腰痛、首痛、腕痛だ。それぞれがいつも痛いわけではなく、ある姿勢をとったときやある方向に力を入れたときに痛いのだ。このような場合は筋肉痛の可能性が高いことがわかった。つまり「筋肉を補修」すれば痛みは消失(軽減)するのだ。
キネシオテープは子供を含め運動選手の間では筋肉痛(肉離れなど)対策として有名だったが、「老人の痛み対策」としても結構いけることに気付いた。つまり筋肉を補修してくれるのだ。
今までなかなか直らなかった腕の痛みと腰の痛みはほぼ半永久的に直った。ただし腰は不自然な姿勢(長時間の猫背)によるものらしいので再発するかもしれないが、すぐに直せる自信がついた。軽いとき(違和感を持ち始めるとき)に使用すれば効果が著しいことも分った。
首痛は10年以上前にひどい目に遭って整形外科で治療しても全く効き目がなかったのが偶然治った。ところが最近再発して、一昨日からキネシオテープを貼っている。即効性(痛くなくなる)はあったが完治(剥がしても痛くない)になるかどうかはこれからだ・・。
五十肩は難しい。関節周辺の筋肉が複雑だから・・。昔の五十肩はいつの間にか治った。今回はなかなか直らないのでキネシオテープを試してみた。可動範囲を拡大することはできるが完全な対策にはなっていない。どう貼ってよいのかがわからない。首の痛みの再発も五十肩保護の姿勢(寝るとき)がいけなかったのだろう。五十肩対策の戦いはまだまだ続きそうだ。

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「名所江戸百景」今昔:「霞かせき」
これは霞が関の正月の風景だ。一番左手のたくさん重ねた箱を担いで運んでいる男は「鮨売り」らしい。当時、正月にはこはだの鮨を食べる習慣があったらしい。そのうちに東京でも流行るかな? 一番右手の小さな箱をたくさん持ち運ぶ男は「払扇箱買い」だって・・・年始の贈り物である扇を入れた箱(不用品=お払い)を買い取って、扇屋に売るのだ。昔はリサイクルの仕組みはできていた・・。
  
読み解き江戸時代:明治の夜明け、「戊辰戦争、終結!」
戊辰戦争とは明治元年に起きた新政府軍と旧幕府軍の一連の戦争の総称だ。戊辰とは「つちのえたつ」の年という意味だ。昔は歴史的なことのあった年を「十干十二支=干支」で著した。これは60年で1サイクルするので数十年オーダーの歴史を語るのに便利だった。元号は度々改元されるので通算年数が分かり難かったからだ。因みに数年から10年オーダーでは十二支だけで表現した。60歳を「還暦」というのはこの「干支」の周期に由来している。「甲子(きのえね)園」、「壬申(みずのえさる)の乱」「庚申(かのえさる)塚」「辛亥(かのとい)革命」「丙午(ひのえうま)」などがよく知られる。因みに来年は壬辰(みずのえたつ)の年だ。
      
街道を行く:脇街道を知る⑮「北国街道」、中山道68「草津宿」69「大津宿」
   
三都&町物語:江戸「大手門」、陸奥「仙台」
    
日本全国「藩」事情:「備中松山藩」
 
暮らし大全:「新たな時代、江戸から東京へ」「もてなしの饗応料理」「江戸の人情を詠んだ、川柳」
江戸から東京へ呼び名が変わったが、江戸っ子たちは呼び名にも新政府にもなかなかなじまなかった。それだけ350年続いた「将軍様の存在」は偉大だったのだ・・・今でもどこかの国の「将軍様」は「偉大」だと喧伝され続けているが、庶民は100年も経ずして「偉大ではないこと」に気付き始めている? しかし戊辰戦争の終結後、天皇が「東京城」に入場して様相は一変・・・新しい時代を受け入れていく。武士たちの多くが国に帰ったため江戸の人口は半分以下になったと言われるが、それは「近代東京」の始まりでもあった。
最初京の字の口の部分は日だった。これは京の当て字だが、中国の東京(トンキン)と区別するためだったとも言われる(さだかではない)。また読みは「とうけい」と「とうきょう」が混在していた。
ペリーは幕府の超豪華な饗応料理を「貧弱だ、まずい」と思っていたらしい。しかしドイツ人の同行記者が日本料理を「西洋の文化に劣らない」と評価していた。つまりアングロサクソンというのは「繊細な味付けが分からない」ということか・・今でも英国料理に引き継がれる?
  
偉人・奇人列伝:「浜田彦蔵」