長女の結婚

週末に長女の結婚式を控えて落ち着かないような、それでもあまり実感の湧かないような気分・・。式(神前)は庭を利用するものなので雨が降らないことを祈る。今のところ週間天気予報ではいい天気のようだ。でも寒いようでもある。

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「名所江戸百景」今昔:「筋違内八ツ小路」
神田川の今の万世橋と昌平橋の中間あたり・・江戸時代には筋違御門というのがあって(絵には描かれていない)、その内側が火除け地になっていたので、絵のような広場になっていた。ここで道が八方向に分かれていたので、八ツ小路と呼ばれた。
  
読み解き江戸時代:江戸城明け渡し、「江戸に近づく新政府軍の足音」
明治元年3月15日は西郷らの新政府軍の江戸総攻撃の予定日であった。それが一転中止となり平和裏の江戸城入場に至ったのは、勝海舟の西郷隆盛とのギリギリ(3月14日)の交渉によるものだった。徳川の恭順の意思確認をしようとする西郷と穏便な扱いによって強硬派による戦闘を免れようとする勝の腹の探りあいでもあった。篤姫や和宮の嘆願も功を奏したと伝わる。その一方で英国公使パークスの圧力も大きな戦闘中止要因であったと言われる。「戦争をする場合は外国人の居留地を守るための方策をなすべきなのに新政府軍は何もやっていない」「どの国も恭順・降伏している者に攻撃を加えることはしない」というパークスの主張に納得したとも、主張を強硬派の説得に利用したとも解釈される。
      
街道を行く:脇街道を知る⑫「豊後街道」、中山道64「高宮宿」
  
三都&町物語:江戸「押上界隈」、陸奥「弘前」
「押上」の地名の由来に「土砂が押し上げられてできた土地」という説がある。土砂は上流から流れてきて堆積して洲をなすものだが。「押し上げられた」とはどういうことか? ひょっとすると大地震によって液状化現象が起きて、大量の砂が地下から噴出して、隆起したようになったのだろうか。
    
日本全国「藩」事情:「膳所藩」
 
暮らし大全:「雪を楽しむ」「長屋住人のお財布事情」「おおらかだった江戸の性意識」
伝統的な「雪だるま」と言えば、大小の雪の玉を作って重ね、炭で顔を描き、バケツの帽子に、手の代わりの棒2本・・・待てよ・・・伝統的か? 江戸時代には雪だるまはあったのか? ここに紹介されているのは子供たちの作る「雪猫」・・・大きな招き猫とのようなものだ。江戸時代には今の置物のだるま(選挙で使われるやつ)と同じ形をした雪だるまも作られていたようだ。しかし、大小玉2個のものはなかったようだ。近代になって簡略化したのか、西洋の影響を受けたのか・・。
  
偉人・奇人列伝:「月岡芳年」