大腿神経痛?
一昨日仕事(パソコン作業)をしているとき、右大腿側部に激痛が走った。確か組んでいた脚をほどいたときだと思う。その後も脚の角度によって激痛が走る。翌日(つまり昨日)はゴルフの予定が入っていたので、「これはだめか」と思った。しかし私は過去にいろいろなところが痛くなっても、ゴルフには支障がないという「強運?」の持主だ。
そこでとりあえず入浴後にキネシオテープを2枚貼って寝た。しかし寝返りを打っても痛みが走ることがある。朝起きても角度によっては激痛・・・しかしスイングの動きでは支障がなさそうなので、とりあえずゴルフ場に向かった。
やはりスイングには支障がないものの、ちょっとした傾斜地を歩くだけで痛くなる。平地を早足で歩いても痛くなる。クラブハウスの階段でも痛い。スコアには影響なかった・・。帰宅しても階段を上るのが辛い・・。どうなることやらと就寝・・。
ところが翌朝(今日)起床すると何ともないではないか。階段も問題ない。そして一日が無事に過ぎた。キネシオテープが効いてきたのか? それとも今日は天気がいいから?
ネットで調べると、大腿神経痛(性格には外側大腿皮神経痛)というのが該当するかもしれない。坐骨神経痛も大腿部が痛くなるが、内側、裏側が多いらしいし骨盤に関連しているらしい。大腿神経痛は脚が圧迫されることでも起きるらしい。そう言えば長く脚を組んだまま作業していたような気がする。
あまり長く脚を組まないように気をつけながら、様子を見ることにしよう。
「名所江戸百景」今昔:「王子稲荷の社」
江戸時代は稲荷信仰が盛んで、数え切れないほどの稲荷神社があった。三浦群でも村にひとつ以上の稲荷があったようだ。独立したものや、神社の中の社や、金持ちや武家の屋敷の中の稲荷などなど・・。その中で王子稲荷は関東の稲荷社の総元締めだった。
読み解き江戸時代:龍馬の秘策「船中八策」、「新しい日本の姿とは?」
龍馬の海援隊は亀山社中から改組されたものだ。亀山社中は龍馬の「会社」だったが、海援隊は龍馬の脱藩の罪が許され、土佐藩の付属組織となって「海援隊」となったのだ。「海援隊」があったのなら「陸援隊」もあったのか・・・実はあった・・・。陸援隊は中岡慎太郎が率いる「戦闘組織」だったが、龍馬率いる「海援隊」はあくまでも「経済組織」であった。龍馬は平和裏に政権交代を目指したのだ。
街道を行く:脇街道を知る⑧「若狭街道」中山道59「今須宿」
三都&町物語:江戸「築地」、陸奥「盛岡」
明暦の大火の後、隅田川河口の海を埋め立てたので「築地」。土佐藩山内家の屋敷があり、土佐藩士武市半平太(瑞山)が学んだ道場「士学館」もここにあった。
日本全国「藩」事情:「浜田藩」
暮らし大全:「人生、隠居してからが勝負」「魔を祓い、子供をさらう天狗」「穴子料理と江戸前」
江戸時代は平均寿命50歳くらいだったが、乳児死亡率が高かったので、無事成人した者の平均寿命は60歳くらいだった。そして「45歳で隠居」というのが理想像だった。しっかり金をためて息子(およそ20歳代後半)に商売を任せ、好きなことをして余生を過ごす・・。私はもう隠居しているのかしていないのか・・・よく分からない。多分60歳で隠居して(定年・・企業第一線を外れ)、好きなこと(趣味と気まぐれな仕事)をしている。江戸時代より20年遅くなっている?
偉人・奇人列伝:「河田小龍」
小龍はある意味、坂本龍馬の師匠だ。元々絵師だが蘭学も学んだことから、ジョン万次郎の取調べを担当することに・・。驚くべき西洋事情を知った小龍はこれを「漂巽紀略」としてまとめて山内豊信に献上、諸大名の間でも話題になった。龍馬は20歳のとき小龍に会い、意見を求めた。大船を買って航海術を習得し、貿易を行って外国に追いつくべし・・と龍馬を諭したのが小龍であった。これが亀山社中、海援隊につながった。
一昨日仕事(パソコン作業)をしているとき、右大腿側部に激痛が走った。確か組んでいた脚をほどいたときだと思う。その後も脚の角度によって激痛が走る。翌日(つまり昨日)はゴルフの予定が入っていたので、「これはだめか」と思った。しかし私は過去にいろいろなところが痛くなっても、ゴルフには支障がないという「強運?」の持主だ。
そこでとりあえず入浴後にキネシオテープを2枚貼って寝た。しかし寝返りを打っても痛みが走ることがある。朝起きても角度によっては激痛・・・しかしスイングの動きでは支障がなさそうなので、とりあえずゴルフ場に向かった。
やはりスイングには支障がないものの、ちょっとした傾斜地を歩くだけで痛くなる。平地を早足で歩いても痛くなる。クラブハウスの階段でも痛い。スコアには影響なかった・・。帰宅しても階段を上るのが辛い・・。どうなることやらと就寝・・。
ところが翌朝(今日)起床すると何ともないではないか。階段も問題ない。そして一日が無事に過ぎた。キネシオテープが効いてきたのか? それとも今日は天気がいいから?
ネットで調べると、大腿神経痛(性格には外側大腿皮神経痛)というのが該当するかもしれない。坐骨神経痛も大腿部が痛くなるが、内側、裏側が多いらしいし骨盤に関連しているらしい。大腿神経痛は脚が圧迫されることでも起きるらしい。そう言えば長く脚を組んだまま作業していたような気がする。
あまり長く脚を組まないように気をつけながら、様子を見ることにしよう。
「名所江戸百景」今昔:「王子稲荷の社」
江戸時代は稲荷信仰が盛んで、数え切れないほどの稲荷神社があった。三浦群でも村にひとつ以上の稲荷があったようだ。独立したものや、神社の中の社や、金持ちや武家の屋敷の中の稲荷などなど・・。その中で王子稲荷は関東の稲荷社の総元締めだった。
読み解き江戸時代:龍馬の秘策「船中八策」、「新しい日本の姿とは?」
龍馬の海援隊は亀山社中から改組されたものだ。亀山社中は龍馬の「会社」だったが、海援隊は龍馬の脱藩の罪が許され、土佐藩の付属組織となって「海援隊」となったのだ。「海援隊」があったのなら「陸援隊」もあったのか・・・実はあった・・・。陸援隊は中岡慎太郎が率いる「戦闘組織」だったが、龍馬率いる「海援隊」はあくまでも「経済組織」であった。龍馬は平和裏に政権交代を目指したのだ。
街道を行く:脇街道を知る⑧「若狭街道」中山道59「今須宿」
三都&町物語:江戸「築地」、陸奥「盛岡」
明暦の大火の後、隅田川河口の海を埋め立てたので「築地」。土佐藩山内家の屋敷があり、土佐藩士武市半平太(瑞山)が学んだ道場「士学館」もここにあった。
日本全国「藩」事情:「浜田藩」
暮らし大全:「人生、隠居してからが勝負」「魔を祓い、子供をさらう天狗」「穴子料理と江戸前」
江戸時代は平均寿命50歳くらいだったが、乳児死亡率が高かったので、無事成人した者の平均寿命は60歳くらいだった。そして「45歳で隠居」というのが理想像だった。しっかり金をためて息子(およそ20歳代後半)に商売を任せ、好きなことをして余生を過ごす・・。私はもう隠居しているのかしていないのか・・・よく分からない。多分60歳で隠居して(定年・・企業第一線を外れ)、好きなこと(趣味と気まぐれな仕事)をしている。江戸時代より20年遅くなっている?
偉人・奇人列伝:「河田小龍」
小龍はある意味、坂本龍馬の師匠だ。元々絵師だが蘭学も学んだことから、ジョン万次郎の取調べを担当することに・・。驚くべき西洋事情を知った小龍はこれを「漂巽紀略」としてまとめて山内豊信に献上、諸大名の間でも話題になった。龍馬は20歳のとき小龍に会い、意見を求めた。大船を買って航海術を習得し、貿易を行って外国に追いつくべし・・と龍馬を諭したのが小龍であった。これが亀山社中、海援隊につながった。