レーシック手術
老眼鏡が面倒なので老眼矯正手術を受けようと思って受診したところ、かなりの遠視(と若干の乱視)であることが判明した。もちろん老眼でもある。焦点調節の範囲が近くに寄ってしまうと「近視」、遠くによると「遠視」らしい・・正常なのを「正視」という・・正視するという熟語と同じ? 遠視があるのでいきなり老眼矯正はできないということで、まずレーシック(レーザでカット)で正視にしてから、どうするか考えることになった。最近健康診断や免許更新で視力が落ちていて、「近視でもないのに・・」と不思議だったが、遠視が進行していたのだ。
来週には手術予定なので・・どうなることやら。
因みに
「老眼」は焦点の調整能力が老化して弱まり近くが見えにくくなることらしい。近視の人は標準的な焦点が近くにあるので、老眼になっても比較的近くが見えやすい・・しかし老眼(能力の低下)が進行していないわけではない。だから近視の老人がレーシック手術をすると、老眼が顕在化?することになるのだ。
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「名所江戸百景」今昔:「川口のわたし善光寺」
手前は日光御成道岩淵宿、渡し船は向こうの川口宿に向かっていて、筏は入間川などで伐り出されて江戸まで運ばれる途中・・・。将軍が日光(東照宮)に参詣するときには、船を並べて繋ぎ、板を渡して、幅3間、長さ65件の船橋が設けられた。因みに千葉の船橋は「日本武尊が東征する際、今は市内を流れる海老川に船を並べて板を渡して橋を造った」・・という逸話に由来する(一説)。
  
読み解き江戸時代:パリ万博とジャポニズム、「舞台は花の都、パリ」
パリ万博で最も人気を誇った展示は「茶屋」・・もちろん喫茶店ではなく、あの芸子さんたちを抱えていた施設のことだ。日本から材木を運んで組み立てたもので西洋人の興味を引いたが、見物人を虜にしたのは3人の芸者(かね・すみ・さと)だった。残っている写真で見る3人は現代風には美人ではない・・さと・かねの二人はそっくりなので姉妹だったのだろうか。3人の所作(キセル・手毬・扇)や日本髪・和服は人気を呼んだ。
      
街道を行く:脇街道を知る⑦「京街道(大坂街道)」中山道58「関ヶ原宿」
  
三都&町物語:江戸「芝浦」、甲斐「甲府」
浜離宮(旧浜御殿)の北側の汐留橋から高輪辺りが芝浦・・目の前の江戸湾でとれる小魚は美味で「芝肴」と呼ばれ、後に「江戸前」と呼ばれるようになった。
    
日本全国「藩」事情:「高島藩」
 
暮らし大全:「外国の脅威と江戸っ子」「江戸時代のカメラ」「娘たちの愛読書は恋愛小説」
カメラ1台が150両(2000万円以上)というから、撮影料金も高い・・。1枚が2分(75,000円)だったと伝わる(長崎上野撮影局)。この撮影局(写真館)を開業したのは写真の開祖とも言われる上野彦馬・・ここでは多くの幕末の志士(高杉晋作、桂小五郎など)の写真が撮影された。
  
偉人・奇人列伝:「松本順」
海水浴の祖?・・海水浴の効用を説いて大磯に海水浴場を開いたので、大磯の名は全国に広まった。