昨日イオンに買い物に行ったら、偶然マグロの解体セールが始まるところだった。どこか外国の海で獲れた生の(解凍じゃないのかなぁ)数10キロのメバチマグロだった。メバチマグロの英名を知ってる? Bigeye tunaって言うんだよ。つまり「目ぱっちり」のマグロって言うわけだ。
店のお兄さんに「頭は売る?」と尋ねたら「はい」というのでしばらく待った。最初に頭を切り落とし、次にカマを切り落とし、それから身を切り取ってサクにしていく。その工程ごとに値が付けられて売られるわけだが、サクのほうは人気があって飛ぶように売れるが、頭とカマは「欲しい人!」と声がかかるので応答するわけだ。前回もそうだったが「頭!500円」という声に応じる者は私だけだった。前回は半分になっていたと思うが、ホールではとても扱いづらいので「切ってよ」とお願いする。道具がないみたいでカマ(片方だけで798?円・・サクと同価格)より後の手渡しになってしまった。手許に届いたものを見るとずいぶん小さい・・「え!半分?」というと「もう半分も欲しいですか?」と言うので、ラベルを確認すると250円になっていたので「これでいいよ」と立ち去った。
その夜は、頭からそぎ取ったほほ肉や胴の一部の身で刺し身を作り、頭は丸ごと醤油で煮た。夫婦二人で250円のマグロだけでおなかいっぱいになった。刺し身はまあまあだったし、血合い肉や目の玉の近くのコラーゲンや脂身のようなところ(脂と言っても魚油DHAなどは健康にいいんだよ)を飽きるほど食べた。

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「名所江戸百景」今昔:「木母寺内川御前菜畑」
「内川」というのは比較的大きな川のそばに流れる小さな川を指すことが多く各地で地名にもなっている。横須賀の内川新田はどういう由来なのだろう。ここには昔は大川(今は)などが流れていたが、内川という川があったという記録はない。多分砂村新左衛門がここ内川入海を干拓する頃、入海と言っても本流以外にはたくさんの洲の間に川のような流れがあって、それを内川と呼んでいたのではなかろうか。
御前菜畑は「おんぜんざいばたけ」と読むらしい。「前菜」の畑の敬語体(笑)というわけではなく、将軍家用の野菜畑だったのだろう。幕府直営の農事試験場だったという説もある。
  
読み解き江戸時代:朝敵、長州藩-禁門の変-、「王城の都を舞台に」
「進発論」を振りかざして長州藩の過激派が起こした禁門の変、長州には後に明治政府で重要な役割を果たす者が多いが、彼らは何をしていたのであろうか。高杉晋作は投獄中だった。高杉の面会に行った藩政指導者で慎重派の周布政之助は、そこで抜刀騒ぎを犯して50日間の逼塞を命じられていたのだ。また同じく慎重派の桂小五郎(木戸孝允)も京に潜伏していて長州にいなかった。過激派はこれら慎重派の留守の間をついて京に軍を進めたのだ。また福沢諭吉はイギリスに留学していて、急遽帰国し、戦闘を回避すべく説得したが叶わなかった。
    
街道を行く:日光道中⑪「雀宮宿~宇都宮宿」中山道52「鵜沼宿」・53「加納宿」
  
三都&町物語:江戸「小川町」、大坂「天満」
今は三崎町と呼ばれる「小川町」。ここには三崎稲荷神社もあって、三浦の三崎と関係あるのかなぁと思っていたが、そうではなかった。小川町と呼ばれるより前に三崎村と呼ばれていて、このあたりまで海が広がる入り江の岬だったかららしい。
    
日本全国「藩」事情:「府内藩」
 
暮らし大全:「鬼とはなんなのか?」「目でも楽しむ夕涼み、蛍狩り」「江戸の女性は働き者!」
小さい頃「蛍狩り」は夏の子供の楽しみで、取ってきた蛍を蚊帳の中に放って楽しんだものだ。しかし私には真っ暗な田圃道で蛍を追いかけていて野壷に落ちて「うんちまみれ」になった苦い記憶が強く残っている。帰って鼻をつまむ姉たちから井戸水をぶっ掛けられた・・。
  
偉人・奇人列伝:「天野宗歩」