朝夕は涼しくなってきたけど、日中は暑いねぇ。だるい・・・。
ゴーヤの栽培もようやく終った。冷蔵庫の中で増え続けていたが、ようやく減少に向かう。
芝刈りをしなければ・・と思うけど、夕方になってからにしよう。
オーシャンブルーが毎日咲いているけど、まだまばらだ。10月ごろが盛りかもしれない。
唐辛子はすべて赤くなったので収穫して干してある。ハバネロはまだ緑色で赤くなるのは下旬かもしれない。オクラやしし唐の収穫はほぼ末期、モロヘイヤはもう1,2回収穫できるだろう。
秋冬野菜の季節が始まる。ブロッコリーの苗はまだ小さいけど順調に育っている。ほうれん草は暑すぎるせいかあまり発芽状況がよろしくない。

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「名所江戸百景」今昔:「馬喰町初音の馬場」
「ばくろう」と入力すると「博労」しか出てこない。この町も以前は博労町と言っていたのが、後に馬喰町になったらしい。「ばくろう」とは牛馬の売買・仲介をする人のことらしい。田舎で小さい頃、「あのおっさんはばくろうじゃ」と言われたことがあるが、意味を理解していなかった(博徒かと思っていた)。元は「伯楽」だ。元々は中国で「天馬を守る星の名」で、中国周代の馬を見分ける名人孫陽が伯楽と呼ばれたことに由来する。日本では「球界の名伯楽」などと使われるが、「人物を見抜き、その能力を引き出して育てるのが上手な人」のことである。郷里の近く岡山県倉敷では「白楽町」と書いて「ばくろうちょう」と読ませる。伯楽が変異したものらしい。また横浜(東横線)にも「白楽(はくらく)」という駅があるが、これも「伯楽(ばくろう)」が転じたものだ。元は神奈川宿の博労が多く住んでいたことに由来する。いずれも「白楽天」とは関係ない。
  
読み解き江戸時代:はしごを外された長州藩、「攘夷を実行するも受け入れられず…」
尊王攘夷の急先鋒長州藩は米・仏・蘭の商船・軍艦を攻撃して攘夷を実行、幕府は驚き、天皇は喜んだ。しかし米仏の軍艦が反撃に出ると、なすすべなく敗れてしまう。これを見た他藩は長州に続くどころか、「攘夷が無謀なこと」を知り、「過激派長州」の地位は低下する。天皇の「大和行幸」(攘夷祈願)を実行して天下に攘夷を号令しようと目論んだが、あまりに過激な案のため、「公武合体」派のクーデターにより「尊王攘夷」派は京から追い出されてしまう。孝明天皇もそこ(幕府を差し置いて号令を発する)までは考えていなかったのだ。公武合体を主導したのは薩摩藩・・会津藩と淀藩にも協力要請・・長州藩は京から追放されたが、まだまだ幕末の混乱は続く。
    
街道を行く:日光道中⑨「間々田宿~新田宿」、中山道46「大井宿」・47「大湫宿」
  
三都&町物語:江戸「染井」、大坂「心斎橋」
ソメイヨシノ(染井吉野)という桜が開発された駒込の染井村。このあたりは植木の産地で、大島桜(オオシマザクラ)と江戸彼岸(エドヒガン)の交配で生まれたのが染井吉野(ソメイヨシノ)だ。「吉野」とは関係ない。当時「吉野の桜」は江戸でも有名だったので、名前を拝借したというわけだ。
当時の大坂最大の繁華街は道頓堀・・・最古の遊郭新町(北新地などは後でできた)・・その間の心斎橋が次第に繁栄していった。大丸がここに開店したのは享保年間のことである。
   
日本全国「藩」事情:「龍野藩」
関西の料理に欠かせない淡口醤油・・龍野はその主要生産地である。「ヒガシマル醤油」の歴史は天正年間創業の「菊屋」に遡る。
 
暮らし大全:「将軍様のお楽しみ、鷹狩り」「にぎやかに、華やかに、顔見世」「江戸っ子の美学-江戸小紋」
将軍家康と家康を尊敬する家光は鷹狩りが大好きだった。鷹狩りの最良の獲物は「鶴」・・・しかし、いつも簡単に鶴を捕獲できるわけではない。だから確実に鶴が将軍の前に舞い降りるよう予行演習を繰り返した。現代で言う「やらせ」かもしれないが、実際のところは「ゲーム」のようなものだったのだ。将軍家茂が上洛に際して浦賀に寄港したときも、漁の様子を将軍に見せ鯛など多くの魚を掬わせているが、これも「ゲーム」だったのだろう。確実に大漁になるなど無理だ・・。
  
偉人・奇人列伝:「柴田是真」