4年前に買ったエアコンの暖房の調子が変・・・というかよく分からないのでメーカ(富士通ゼネラル)に電話してみた。1年保証だが冷凍機は5年保証なので一縷の望みをかけて・・・。最近のエアコンはヒートポンプ式なので冷房も暖房もヒートポンプの熱交換によっているから・・。現象としては
室内機からうなり音がする(静かだと気になる)
暖房の効きが悪い
ブレーカが落ちる、その後で突然切れることがあった
・・・という訳で点検修理に来てもらうことになった。来てくれた人は丁寧で優しくていい人だった。
その結果、「うなり音」はモータ交換ということになった。どうやらクレームが多いようで「無償交換対応」になっているようだ。5年以内にクレームしてよかったかもしれない・・・。
石油ファンヒータに比べて足元が暖まりにくいのは原理的なもの(設置位置と熱源温度の違い)で仕方なさそうだ。去年まで石油しか使わず、今年初めて本格的に使用しているので分からなかった。
ブレーカ(メイン)が落ちる原因は不明・・電流は最大10数アンペアで特に問題はなかった。しかし使用機器が集中すると危険かもしれない。途中で切れる問題は「停電」直後のことだったのでコンピュータ暴走かもしれない・・そういうときはコンセントを抜き差ししてくれと・・まぁそんなもんか。
とりあえず、モータ交換に来てくれるまで様子を見ることにした。
それにしても通販で買っても大きいメーカは無償対応が多いので安心だね。壊れないほうがいいけど・・・。

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「名所江戸百景」今昔:「千住の大はし」
千住大橋を南岸から望んでいる。馬に乗っている人は、これから江戸を発って日光か奥州に向かうのだろうか。橋を渡ると日光・奥州街道の最初の宿場、千住宿があった。松尾芭蕉もこの橋を渡って奥州に向かったのであろう。今の千住大橋(上り・下りの2橋)の北側たもとには「奥の細道矢立初の樋」がある。
  
読み解き江戸時代:幕府VS.農民20万人、「幕府は俺たちを殺す気か!」
明和元年(1764)に起きた「伝馬騒動」・・この江戸中期最大の百姓一揆は中山道の農民たち20万人が蜂起したものである。農民たちは年貢のほかに「助郷」と呼ばれる「人馬の動員」に苦しんでいた。そして強引な増助郷が農民たちの怒りを買い、直訴のため20万の農民が江戸に向かうという事態になったのだ。結局農民から信頼されていた関東郡代伊奈忠宥が調停に乗り出して危機一髪解決した。増助郷は免除されたが首謀者とされた関村名主遠藤兵内のみは死刑(獄門)となった。数百人の村役人、農民が処罰され牢死者も多数出たが、死刑になったのが一人だけというのも象徴的なことであった。「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」という幕府の基本姿勢があったこと、騒動の再燃を恐れたことが背景にあった。
 
街道を行く:甲州道中②「内藤新宿~高井戸宿」、中山道②「蕨宿」
新宿駅南口前の道路が甲州道中(街道)で、ここから西に進む文化女子大のあるあたりの先にある正春寺は秀忠の乳母「初台の局」の娘「梅園の局」が開基した寺で、初台という地名の由来になっている。高井戸宿は下高井戸宿と上高井戸宿を合わせて一つの宿場として機能する「合宿」であった。昔本時覚寺の不動堂が高台にあって「高井堂」と呼ばれたのが「高井戸」の由来とされる。・・確かに「高い井戸」というのは変だね。
戸田川を越えた先が中山道2番目の宿場蕨宿だ。江戸防衛のため戸田川には架橋せず、「戸田の渡し」で川を渡っていた。戸田川は今の荒川の一部である。蕨宿では機織りが盛んだったが、これは高橋新五郎(二代目)という男が織機を研究改良して、職人などが着る「青縞」という生地の生産を始め、江戸で人気を博したため産業として発達したそうで、新五郎夫妻は「はた神さま」として塚越稲荷に祀られている。
  
三都&町物語:江戸「虎ノ門」、仙台「松島」
虎ノ門は江戸城外堀の三十六御門の一つだ。風水では四方位の東を青龍、西を白虎、北を朱雀(鳳凰)、南を玄武の四神が守るとされるので、虎ノ門は上方への玄関口とされ、当初の東海道は虎ノ門を起点としていたらしい。金毘羅宮(現・金刀比羅宮)は万治3年の創建という・・・ちょうど新左衛門が砂村新田や内川新田を開拓していた頃だ・・・新左衛門もここに来て大祭(おかめ・ひょっとこ民謡)を見物していたのかなぁ。
松尾芭蕉は「松島の月先こゝろにかゝりて」と「おくのほそ道」の序文に書いて、ここに来ることを楽しみにしていたが、結局「いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ」として句を残していない。「松島や ああ松島や 松島や」というのは後世の人が作り出したものだって。
  
日本全国「藩」事情:「小倉藩」
小倉藩初代の藩主の正室は明智光秀の娘玉子(細川ガラシャ)、関ヶ原の戦いの直前、石田三成から人質になることを強要され、拒絶して自殺した。
後に藩主となった小笠原家は小笠原流礼法を伝承する名門大名である。
 
暮らし大全:「『名所図会』でバーチャル観光」「江戸の胃袋と経済を支えた塩」「笑って楽しんだ、春画」
名所図会は今で言う観光ガイドブック・・・ブームの端緒は秋里籬島の「都名所図会」。都とは京のことである。旅行を計画したりするのに大変便利だったが、旅行できない人も、特にあまり出かけられない女性たちは大変興味深く読んだので、特に「江戸名所図会」は大人気を博した。名所の数1043、写生画は650点に達する。
従来方式の揚浜式塩田の場合、海水を汲み上げて浜に撒き、乾いた砂を集めて海水とともに煮詰めるというものだったが。潮の干満差の大きい内海で開発された入浜式塩田は、基本的には干満差で海水を塩田に導くため少ない労力で上質の塩が得られるようになった。そして赤穂を始めとして瀬戸内海沿岸10カ国が製塩の中心地になっ十州塩というブランドになった。
大胆なポーズで性交する男女の性器を誇張して描いている春画・・・こんなものを今出版していいのかなぁ。昔はお楽しみのほかに火除けや戦場での護符として使われたり、花嫁道具(テキスト&縁起物)として娘に持たせるなどもされた。著名な浮世絵師のほとんどは春画作家でもある。春画の登場人物が衣装をまとっているのは着物の美しさや流行のスタイルを描くのが『売り』だったからだって・・。
 
偉人・奇人列伝:「加保茶元成」
吉原の大店「大文字屋」の養子(二代目)で加保茶(かぼちゃ)というふざけた狂名は先代が「かぼちゃ」とあだ名される醜ゝ男だったから・・。屁をひった人を見て笑う人のことを詠んだ句「へへへへへ、へゝゝゝゝゝゝ、へゝゝゝゝ、へゝゝゝゝゝゝ、へゝゝゝゝ」は彼の最高傑作?? 回文になっている・・当たり前だろう。