先週の月曜日には電子申告で準備から申告まで一気に済ませた。朝一番でまず行政センターに行って住民基本台帳カード(住基カード)を作った。写真付きかどうかは希望によるもののはずだが、係員は「写真を撮ります」と言ってどんどん進めるのでお任せ・・。突然の撮影で「身づくろいに躍起?」・・。手数料500円なり。次に市庁舎まで出かけて「電子証明」の取得・・情報が住基カードに入れられて、手数料500円・・・カードリーダーも含めて3000円あまりの出費で5000円弱の税控除だからまずまずの投資効率?か。帰ってきてパソコンで既に計算していたデータを申告して完了!
と言うと簡単だが、実は国税庁のホームページでの作業に手間取った。なかなか画面が遷移しないのだ。ひどい場合はタイムアウトになってしまう。パソコンのせいかと思って他のパソコンを試したがやっぱりダメ。若干の修正をしたので何度もタイムアウトを繰り返してようやく完了した。
水曜日のゴルフのときY口さんに「どうだった?」と尋ねたら「火曜日の午前中は問題なかった」との答え・・・やっぱりパソコンかネットワークの問題かなぁ。あるいは午前中と午後(夕方)の混み具合の差かなぁ。この季節、国税庁のページに全国からアクセスが殺到したら結構大変だと思うけど・・・。
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「名所江戸百景」今昔:「隅田川水神の森真崎」
松林の中に見えるのが水神・・今は隅田川神社。左側上流には千住大橋が架かっていて、今は神社と川の間に首都高速が走っている。向こう岸には真崎(まっさき)神社などがあって、ここらは景勝の地だった。ソメイヨシノという今大勢を占める桜はまだなかった・・・手前に見えるのは八重桜だ。
読み解き江戸時代:揺らぐ朝幕関係、「芽生え始める尊王の意識」
「天皇こそが日本の中心である」という尊王論は後の倒幕思想につながる。宝暦事件、明和事件は明治維新から100年も前のことであるが、危険を感じた幕府が思想家らを弾圧したものである。宝暦事件の中心人物竹内式部、明和事件の中心人物山県大弐・・彼らの唱える「垂加神道」は若き天皇・公家を刺激し、これを黙認できなくなったが天皇には命令できない幕府は彼らを弾圧した。
街道を行く:人気観光スポット⑥下諏訪温泉、東海道終着点「三条大橋」
中山道随一の温泉宿場町・下諏訪・・・諏訪大社の門前町。和田宿から街道最大の難所和田峠を超えて5里以上・・・この長丁場の疲れを癒したのが下諏訪温泉だった。
三条大橋は東海道と中山道の終着点だが、東海道の方が10里短かった。ここは京の西の玄関口で、出迎えは西詰めで、見送りは東詰めで行ったので橋の両側には旅籠や茶屋が並んで賑わった。
三都&町物語:江戸「赤坂」、近江「彦根」
本所に生まれ赤坂の福岡黒田家の永井青崖に蘭学を学んだ貧しい幕臣の子勝海舟は赤坂田町に住居を持った。嘉永6年には海防に関する意見書を提出して登用された。私が知る勝海舟は浦賀奉行所の中島三郎助に弟子入りを求めたが、「弟子などとんでもない」と篤くもてなされたと言われる。どちらも下級武士で身分的には変わらず三郎助の家人はその歓待ぶりに異を唱えたが譲らなかったそうだ。三郎助もかなり教養のある武士だったが「勝海舟は偉くなる」と見込んでいたのだ。
ゆるキャラ「ひこにゃん」で知られる彦根と彦根城・・井伊家35万石の城下町だ。「小江戸彦根の城まつり」というのが毎年催されているらしいけど、川越だけでなくあちこちに小江戸ってあったんだね。
日本全国「藩」事情:「福江藩」
長崎の五島列島・・ここを治める藩があったんだね。藩主は元は宇久氏だったけど五島氏に改めたのだそうだ。東急の創業者五島慶太は長野県出身で五島列島出身ではないけど、先祖は福江藩主なのかな。
暮らし大全:「江戸の名物・名品」「金魚に夢中」「心の病は憑き物のせい!?」
江戸は消費都市で主要な産品は上方(下り物)に依存していたが、中期以降には独自の農産物・食品・工芸品が生まれる。江戸名物を仕立てたのは多彩な出版物だが、出版物そのものも江戸土産としてもてはやされた。江戸名所図会や江戸切絵図、錦絵などである。
江戸時代後期にはペットブームとなるが、中でも安価で季節感があり飼い易かった金魚に人気が集まった。金魚飼育のガイドブックとしてベストセラーになったのが「金魚養玩草(みんぎょそだてぐさ)」で何度も再版された。当時の金魚鉢は「金魚玉」と呼ばれるガラス製で大変高価なものであった。
当時精神病は病気の範疇に入っておらず、「憑き物のせい」ということになっていた。「物の怪」とは霊に憑かれた状態を指していた。だんだん憑依するものは怨霊から狐、犬神、蛇、狸、猫などになっていき、狐が最も流行?した。狐憑き落としで最も有名だったのは安芸の宮島、狐に憑かれないためには「親指を他の指で握って隠す」のがいいと言われた。
偉人・奇人列伝:「橘南谿」
医師で、全国を巡って旅行記「西遊記」「東遊記」を著した。観光ではなく医術修行のためだったので、あえて冬の寒いときに北国を訪れ「寒い場所で人体はどうなるのか」を確かめようとした。杉田玄白の「解体新書」はドイツ人の医学書をオランダ語訳した「ターヘル・アナトミア」の和訳であるが、その24年後には日本初の解剖執刀に関する書「解体運刀法」を書いている。
と言うと簡単だが、実は国税庁のホームページでの作業に手間取った。なかなか画面が遷移しないのだ。ひどい場合はタイムアウトになってしまう。パソコンのせいかと思って他のパソコンを試したがやっぱりダメ。若干の修正をしたので何度もタイムアウトを繰り返してようやく完了した。
水曜日のゴルフのときY口さんに「どうだった?」と尋ねたら「火曜日の午前中は問題なかった」との答え・・・やっぱりパソコンかネットワークの問題かなぁ。あるいは午前中と午後(夕方)の混み具合の差かなぁ。この季節、国税庁のページに全国からアクセスが殺到したら結構大変だと思うけど・・・。
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「名所江戸百景」今昔:「隅田川水神の森真崎」
松林の中に見えるのが水神・・今は隅田川神社。左側上流には千住大橋が架かっていて、今は神社と川の間に首都高速が走っている。向こう岸には真崎(まっさき)神社などがあって、ここらは景勝の地だった。ソメイヨシノという今大勢を占める桜はまだなかった・・・手前に見えるのは八重桜だ。
読み解き江戸時代:揺らぐ朝幕関係、「芽生え始める尊王の意識」
「天皇こそが日本の中心である」という尊王論は後の倒幕思想につながる。宝暦事件、明和事件は明治維新から100年も前のことであるが、危険を感じた幕府が思想家らを弾圧したものである。宝暦事件の中心人物竹内式部、明和事件の中心人物山県大弐・・彼らの唱える「垂加神道」は若き天皇・公家を刺激し、これを黙認できなくなったが天皇には命令できない幕府は彼らを弾圧した。
街道を行く:人気観光スポット⑥下諏訪温泉、東海道終着点「三条大橋」
中山道随一の温泉宿場町・下諏訪・・・諏訪大社の門前町。和田宿から街道最大の難所和田峠を超えて5里以上・・・この長丁場の疲れを癒したのが下諏訪温泉だった。
三条大橋は東海道と中山道の終着点だが、東海道の方が10里短かった。ここは京の西の玄関口で、出迎えは西詰めで、見送りは東詰めで行ったので橋の両側には旅籠や茶屋が並んで賑わった。
三都&町物語:江戸「赤坂」、近江「彦根」
本所に生まれ赤坂の福岡黒田家の永井青崖に蘭学を学んだ貧しい幕臣の子勝海舟は赤坂田町に住居を持った。嘉永6年には海防に関する意見書を提出して登用された。私が知る勝海舟は浦賀奉行所の中島三郎助に弟子入りを求めたが、「弟子などとんでもない」と篤くもてなされたと言われる。どちらも下級武士で身分的には変わらず三郎助の家人はその歓待ぶりに異を唱えたが譲らなかったそうだ。三郎助もかなり教養のある武士だったが「勝海舟は偉くなる」と見込んでいたのだ。
ゆるキャラ「ひこにゃん」で知られる彦根と彦根城・・井伊家35万石の城下町だ。「小江戸彦根の城まつり」というのが毎年催されているらしいけど、川越だけでなくあちこちに小江戸ってあったんだね。
日本全国「藩」事情:「福江藩」
長崎の五島列島・・ここを治める藩があったんだね。藩主は元は宇久氏だったけど五島氏に改めたのだそうだ。東急の創業者五島慶太は長野県出身で五島列島出身ではないけど、先祖は福江藩主なのかな。
暮らし大全:「江戸の名物・名品」「金魚に夢中」「心の病は憑き物のせい!?」
江戸は消費都市で主要な産品は上方(下り物)に依存していたが、中期以降には独自の農産物・食品・工芸品が生まれる。江戸名物を仕立てたのは多彩な出版物だが、出版物そのものも江戸土産としてもてはやされた。江戸名所図会や江戸切絵図、錦絵などである。
江戸時代後期にはペットブームとなるが、中でも安価で季節感があり飼い易かった金魚に人気が集まった。金魚飼育のガイドブックとしてベストセラーになったのが「金魚養玩草(みんぎょそだてぐさ)」で何度も再版された。当時の金魚鉢は「金魚玉」と呼ばれるガラス製で大変高価なものであった。
当時精神病は病気の範疇に入っておらず、「憑き物のせい」ということになっていた。「物の怪」とは霊に憑かれた状態を指していた。だんだん憑依するものは怨霊から狐、犬神、蛇、狸、猫などになっていき、狐が最も流行?した。狐憑き落としで最も有名だったのは安芸の宮島、狐に憑かれないためには「親指を他の指で握って隠す」のがいいと言われた。
偉人・奇人列伝:「橘南谿」
医師で、全国を巡って旅行記「西遊記」「東遊記」を著した。観光ではなく医術修行のためだったので、あえて冬の寒いときに北国を訪れ「寒い場所で人体はどうなるのか」を確かめようとした。杉田玄白の「解体新書」はドイツ人の医学書をオランダ語訳した「ターヘル・アナトミア」の和訳であるが、その24年後には日本初の解剖執刀に関する書「解体運刀法」を書いている。