3年前に購入したナショナル(今はパナソニック)の冷蔵庫が突然製氷しなくなった。いろいろ取説の説明に従ってやってみたが全く製氷しようとしない。どうやらタンクの水を汲み出すポンプの動きが悪いようだ。洗浄運転を行っても弱々しい音がするばかりで、落ちてくるはずの水が一滴も落ちてこない。
これはポンプの不良だ・・と思ったが、1年保証を過ぎている。そこでパナソニックのサポートセンターのサイトで詳しく「クレーム連絡」・・案の定、ポンプ・モータの故障の可能性が大きく修理手配するよう回答があった。
そこではたと気づいたのが「ヤマダ電機の10年保証」に入っていたこと・・。そうそう、いつもは普通のネット通販で電化製品を買っているが、「冷蔵庫はやばいぞ」と思って10年保証がついているYAMADA WEBで購入したのだ。ヤマダのポイントと10年保証を加味すると結構いい条件だったので・・・。
その後、ヤマダ電機の対応は若干どじがあったものの、今日パナソニックから修理に来て一件落着・・H21というエラーコードが出ていたのだが、これが製氷関連故障を意味するんだって・・。
無償修理できてよかった・・・最近の家電製品は脆弱だ。
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「名所江戸百景」今昔:「逆井のわたし」
江東区と江戸川区の境で東京湾に流れているのは荒川だが、江戸時代にこの辺りを流れていたのは中川だ。今はちょっと上流で荒川に流れ込む短い区間の「旧中川」として残るのみ。中川河口の西側が私の研究対象「砂村新左衛門」の開拓した「砂村新田」である。
 
読み解き江戸時代:享保の改革への第一歩、「大切なのは観念より実用」
今競馬ではサラブレッド種が主流であるが、アラブ系のレースもある。しかしアラブ系というのは100%純潔のアラブ種ではない。このアラブ種(アラビア馬)の輸入を促進したのが、享保の改革で知られる八代将軍吉宗だ。戦争がなくなった時代にも武芸こそ大事だと実践的な馬術を奨励した吉宗は、日本馬より大きく、速力に勝るアラビア馬を輸入して品種改良しようと思ったのだ。
  
街道を行く:船の旅、東海道44「石薬師宿」
当時外洋航路は沿岸を航行するにしても大変危険なものであった。物資の輸送はやむを得ず廻船(貨物船)を利用し、乗客の便乗もほとんどできなかった。そこで庶民が利用したのは河川や内湾の渡し船だった。有名なのは富士川の渡し・天竜川の渡し・六郷の渡し・馬入の渡し・今切の渡し・七里の渡しなど東海道の渡し船のほか瀬戸内海の金比羅船、淀川の三十石船などだ。
石薬師寺は四日市宿と亀山宿の距離が5里以上あったので新たに設けられた宿場で、宿場町というより石薬師寺の門前町として開けていた。境内には西行法師・一休禅師・松尾芭蕉の歌碑がある。

三都&町物語:江戸「千住宿」、安芸「広島」
奥州街道・日光街道の江戸の出入口・・・。一般旅行者、参勤交代の大名行列、日光社参(将軍や代参者)の通り道として栄え、江戸四宿のほかの宿場同様飯盛女がいたので江戸の男たちが遊びに来た。
毛利輝元が太田川の三角州に広島城を築いたので城下町として栄えた広島・・・。広島という名前は輝元が付けたと伝わるが、洲(広い島)に築城したからという説と、毛利の祖大江広元と当地の武将福島氏の名前を取ったという説がある。
  
日本全国「藩」事情:「大垣藩」
奥の細道というのは芭蕉の東北地方への旅日記かた思っていたが、東北から北陸を経由して大垣で終っているということを知った。芭蕉の訪問で蕉風俳諧が広まり、美濃俳諧として定着した。
 
'''暮らし大全:「行楽のお供においしい弁当」「江戸っ子好みの粋な小紋と縞」「江戸庶民に広がる、元服儀式」「『百鬼夜行図』で読み解く、妖怪たち」
古くから握り飯などの携行食は「腰弁当」として存在していたが、江戸時代に発達したのは幕の内弁当や、花見弁当・・・。今は改築中の歌舞伎座では「江戸風芝居かべす」として幕の内弁当が再現されているが、当時に比べて内容は豪華だ。「かべす」とは「か:菓子」「べ:弁当」「す:寿司」の3段になっている・・撮影用で売られていなかった?
江戸時代初期には華やかな柄模様が流行ったが、後期になると一見すると無地に近い小紋や縞がトレンドになった・・・粋=地味&渋さを好んだ江戸っ子の美意識。ぜいたくを取り締まるお上の目を盗む抵抗でもあった。
元服とは男子の成人式・・・10~12歳で寺子屋通いを終え、家業見習いや丁稚奉公に出て15歳で半元服して、やっと半人前になる。仕事を覚えたら17~19歳で本元服を迎えた。女子の成人は13歳の「十三祝い」が代表的なものだった。
ゲゲゲの鬼太郎で人気の妖怪たち・・当時の妖怪も怖いだけではなく愛すべき存在でもあった。有名な妖怪は「るらりひょん」「見越(みこし)」「猫また」「ぬけくび(ろくろ首)」「おとろし(おどろおどろ)」「幽谷響(やまびこ)」「天狗」「河童」「ぬっぺふほふ」・・・・・
 
偉人・奇人列伝:「恋川春町」
「黄表紙」の創始者、恋川春町・・・春町は武士で駿河小島藩の家臣であった。小石川春日町の藩邸に住んだことから恋川春町というペンネームにしたらしい。寛政の改革で出版規制、風刺的な作品の規制を推進した松平定信の政治を風刺したとして幕府に召喚されたが応じなかった。そのまま病死したとも、自刃したとも伝わる。