現在の私の生活は、極めて少ないお金によって支えられています。

 

それは「節約」によるものではなく、個人的な価値観における「調和」を目指した結果によるものだと言う事が出来ます。

 

食品添加物を避けた結果として、食事は玄米・野菜・果物を中心としたものです。食のスタイルの変え始めはともかく、慣れてしまえばこれが美味しい・食べたい食事になっています。

 

 

果物は庭で取れた甘夏・ビワを中心に、今年からは柿もそこそこ収穫出来そうです。年に一度の剪定は必要ですが、後は全てが自然の恵みによるものです。

 

新緑が芽吹いたり、花が咲いたり、果実の色が庭の印象を明るくしてもくれます。例えば、南海トラフ地震(震度7想定域)でライフラインが途絶えた時には、剪定した枝も多少の熱源くらいにはなりそうです。

 

野菜は地産地消や人との繋がりによって、近所の農家さんの販売所で購入しています。スーパーよりもかなり安く、知り合いとして別の場所でも声をかけあえるのが嬉しいです。

 

保存食についても梅干し(酢漬け)・ザワークラウト(キャベツの塩揉み発酵)は、自家製によって食生活の中に組み込まれています。

 

エアコンの乾燥がとても苦手な事もあり、日除け・風通し・扇風機・冷水シャワーが主な暑さ対策です。冷水シャワーとその後しばらくの爽快感が最高で、日に3回くらいシャワーを浴びます。冷水なのでガス代はかかりません。

 

庭など家のまわりをコンクリートで固めたり除草剤を撒く事が嫌で、草取りは欠かせません。しかし、最近は何故か蚊に刺される事もなくなり、そうして草や土に触れている事も嫌いではありません。

 

草取りも花が付いているものは残す事が多く、特に花の多い春には庭の草花に心癒されます。また、意識的に抜くタイミングを調整している事もあり、割合として非常時に食用に出来るものが増えて来ています。

 

洗濯には重曹を使っており、健康や虫歯対策などにも使えます(身体の弱アルカリ化)。

 

そうした半隠遁生活の様な日常を送っていて思うのは、「仕事」って何だろうかと言う事です。

 

庭の草取りや家の掃除をしたり、農産物の販売所に行ったり、果樹の剪定をしたり、保存食を作ったり、食事を作ったり。

 

それが、メインの仕事なんですね。

 

一昔前までの社会と言うのは、基本が「自給自足」と言う所にあり、それで賄いきれない部分を「交換」などによって補っていたのだと思います。

 

それが近代社会において、急激に殆どの部分がお金を介しての「交換」に置き換わり、自給自足が失われて行きました。

 

これは、1つに技術進化や製造設備の部分において、自給自足では対応できないと言う事があります。

 

しかし、それが過剰に進んで来たと言う点については、ネガティブな支配者達によるミスリードがあると言えます。自給自足が失われると言う事は、お金に依存しなければ生きて行けないと言う事です。そして、お金を支配しているのが、ネガティブな支配者達になります。

 

私の現在の実感においては、草取り・剪定・保存食作り・食事の調理・掃除・買い物などと言うのは、仕事としての位置づけなんですね。つまり、メインとしての仕事が終わった後の空き時間における、面倒な作業と言う位置づけではないと言う事です。それこそが、充実した日常を創造して行く上でのメインとなる仕事なのです。

 

そして、個人的な夢としては、山奥で薪を燃やしたりしながらより自然と調和した形、言って見れば昔の田舎暮らしの様な方向に近づけて行きたいと言うものです。

 

100%自給自足するだとか肩ひじ張ってこだわるつもりは全然なく、自分にちょうど良いバランスの中でそれを楽しみたいと言う事です。

 

今は程よい田舎の団地生活なのですが、その中でも出来る所から変えて行く事で、より地に足の着いた形でそうした夢が見えて来ている様に思います。

 

「仕事」とは何なのか?

 

これは、アセンションを通過する過程において、避けては通れない大きな価値観の変化を生み出すテーマになると思います。