私自身が自覚している課題の1つとして、パソコンやスマホから離れた時間を増やすと言うものがあります。

 

私達が経験しているこの世界の特徴と言うのは、この物質的なリアル感にあるのだと言えます。それは、まさに神の創り出した芸術世界であり、その1つ1つのあり方に感嘆せざるを得ません。

 

例えば死後の世界において、魂としてこの経験を思い出す事は出来るでしょうが、この物質的なリアル感を経験する事は出来ないと思います。

 

 

高次元存在達は高次元世界のリアル感を経験しているでしょうが、私達の様な物質的リアル感を経験する事は出来ないでしょう。例え地球上に降りたとしても、それを私達と同じ低波動に基づいたリアル感から経験する事はないのです。

 

また、パソコンやスマホの画面を通じた経験と言うのは、今あるリアル感から離れた思考領域の経験になって来る様に思います。つまり、この世界に特有の物質的アリル感が、そこには伴わないと言う事です。

 

それは、思考の世界での経験であり、物質的現実としての要素が薄いものになります。

 

例えば、登山をする映像を見て仮想体験をする事は、実際に自分が登山をしてそこで感じるものとは大きく異なります。

 

そして、私達はこの物質的環境におけるリアルな経験によって、より多くの要素から多面的にそれを経験する事が出来るのです。それが、より大きな感動や充実感、そして学びを引き寄せて来る事になります。

 

それを理解しながらも、パソコンの前に座り思考の世界に長居する傾向から抜け出せないのですから困ったものです。

 

季節は春へと移ろい始め、庭の草もあちこちから湧き上がって来ています。そのおかげで、最近は庭に出て剪定した木の枝の片づけや草取りをする時間が増えて来ています。

 

庭の草を取りながら、この草は非常時に食べられる食べられないとか、綺麗な花だからしばらく残しておこうかとか、剪定した果樹の枝具合について考えてみたり、いっせいに新緑が萌えて来た姿に癒されたり。

 

最近は、明日葉の周辺に果樹の枯葉が留まり、表土の水分が守られています。そして、枯葉が養分へと変わって行く事で、明日葉の成長が促進されている様にも思うのです。その辺は、枯葉や明日葉の葉に覆われて、雑草も少ないように感じます。

 

こうした時間が好きなんですね。

 

これからの季節は次々に生えて来る草達が、私にパソコンを閉じさせて、庭へと誘ってくれる訳ですからありがたい事です。