私達は今から、自然の大切さと地球の偉大さについて思い知らされる事になります。

 

人々は自然を破壊し、都会と言うコンクリートジャングルを拡大しながら、それを文明の進化だと思い込んで来ました。

 

そうした人工的な空間を人口密集地帯として成立させるために、人々は自然と調和した自給自足的なあり方を放棄して、分業による大量生産体制を構築して来たのです。

 

 

人々は自然から離れ社会を構成する歯車の1つとして、人生の大半・ほぼ全てを消耗する事によって生きています。

 

そうした、人工世界の経済を支えて来た潤滑油が「お金」です。

 

人間社会によって管理されるそのお金は、やがて人々のエゴによって「無制限・無秩序」に発行され始めました。

 

その結果として、金融経済の崩壊前夜に立ち尽くしているのが今の私達なのです。

 

コロナ騒動や戦争の影響によって傷んだ世界経済の最中にありながら、乱発されて行き場を失ったマネーの氾濫により、日本やアメリカの株価指数は史上最高値を更新中です。

 

既に金融システムは立て直しの利かないレベルにまで傷んでおり、ここからのテーマはどの様に新しい金融システムに移行するのかと言う事になります。

 

いずれにしてもそこに表れる混乱は、かなり大きなものになる事が予想されます。世界は今も主導権争いの中にあり、足並みをそろえて進めてはいません。

 

そうした現実の中で考えてみて下さい。お金の価値が失われる事について。

 

その紙切れを手に入れるために、手元にある虎の子の商品を手離しますか?大切なガソリンを使って物を運びますか?

 

つまり、金融の混乱は経済の混乱と一体的なものなのです。電気が止まりガスが止まり水が止まり・・・。そうなると断言する訳ではありませんが、そうした可能性が普通に含まれる現実の中に今の私達はいるのです。

 

その時、自然を破壊して人間的なエゴが造り上げた、人工的なコンクリートジャングルの中では何が起こるのでしょうか?

 

食料は?トイレは?電気・ガス・水道は?

 

その一方で、自然と調和して生きる田舎での生活はどうでしょうか?

 

室内の明かりやスマホくらいの電気であれば、アウトドア用の折り畳みソーラーパネルとポータブルあるいはモバイルバッテリーで賄えるでしょう。

 

冷蔵庫が無ければ、梅干し・漬物・切り干し大根・・・等々、昔ながらの健康的な保存食を作れば良い訳です。

 

田畑には米や野菜がある訳で、農業機械の燃料不足から都会(市場)へ出すほどの大量生産は無理であっても、自分達が食べるものくらいは何とかなるでしょう。

 

山の中で枯木・枯れ枝を拾って来れば庭で火を起こす事が出来ますし、井戸や川、あるいは雨どいから全力で雨水を溜め込むなどすれば、水もある程度は何とかなるのかも知れません。

 

トイレについても、大と小を区別してバケツで簡易コンポストトイレを作る事が出来ます。そこで菌の力を借りれば、庭や畑の土と循環させる事で何とかなりそうなものです。

 

それら全ては、無償で「自然が与えてくれる」大いなる恵みであると言えます。

 

人は地球の自然なしに、生きて行く事は出来ません。

 

皆さんは人体のかなりの割合が、常在する菌やウイルスによって出来ている事をご存じでしょうか?分かりやすい所で言えば、大腸菌であったりビフィズス菌であったりと言うように。こうした菌が人体には兆単位で存在していると言われており、そうした菌を取り除いて人体を成り立たせる事は不可能なのです。もちろん、人体無くしてそれらの菌が生きて行く事も出来ません。

 

お解りでしょうか?

 

地球にとって私達はそこに常在する菌の様なものなのです。問題は、それが善玉菌であるか悪玉菌であるかと言う事です。

 

地球(自然)無くして人類はあり得ませんし、人類が無ければ地球の輝きも味気ないものになってしまいます。

 

しかし、人類がこれまでの様な悪玉菌に徹すると言うのであれば、その結果はどうなるでしょうか?

 

私達はもっと、地球に対して愛と感謝によって接する必要があるのです。

 

しかし、そうしたくないのであれば、そうしない自由も認められています。ただ、それに伴う結果は、自らが受け入れなければなりません。これは、警告でも脅しでもなく、単純な宇宙の法則です。全ての選択権は、各個人に委ねられています。

 

この世界は、魂が見ている明晰夢である事を何度でも思い出してください。

 

人類がどうするのかは、問題ではないのです。それは明晰夢の背景でしかありません。

 

その明晰夢の全てを決めているのは、その夢を見ている自分自身のあり方(波動)であるのだと言う事です。