私達がいかに生きるかと言う事を考える時、ワクワクと調和的にと言う大きな方向性が示されます。しかし、それはただ平穏な現実の中で、自分の殻に閉じこもって進めて行くと言うものではありません。

 

時代は常に大きくうねっており、特に現在進行中であるアセンション期においては、歴史的に見ても最大級のうねりの中にあるのだと言う事が出来ます。

 

つまり、そうした経験環境の中でもワクワクと調和的な方向性を見失うことなく、日常をポジティブに生きて行きましょうと言う事です。そして、それが4次元世界への進級試験になって行くのです。

 

 

そうした意味を含めて、今から私達は更に大きな社会混乱の中へと踏み込んで行くのですが、そうした混乱をどの様に乗り越えて行けば良いのかについて考えてみたいと思います。

 

そこでのカギとなって行くのは、調和的な方向性であったり、各自の興味・好奇心によって育まれて来た知恵や体力であったりします。

 

例えば、今からの混乱は世界規模でのものとなり、通常想定されている様な数日・数週間を乗り切れば援助が来ると言った類のものではありません。つまり、年単位に及ぶ混乱になります。

 

それがどういう事かと言えば、備蓄だけでは到底乗り越えられないと言う事です。だからこそ、周囲との調和・助け合いへと向かう必要があるのです。ここで奪い合いの生存競争へと向かってしまえば、事態は最悪の方向へと転がり落ちて行く事になります。

 

ただ、あくまでも基本的な前提として、特に混乱期前半においては、各自の自立を前提とした上での支え合いになって行くと思います。つまり、はじめのうちは食料に限らずそれぞれの家庭に大なり小なりの備蓄的な生活物資が残っている訳で、そこに新たに手に入れられるものを加えながらの遣り繰りが、各家庭単位で模索されて行く事になります。

 

なぜなら、混乱はある日突然に全てが止まると言うよりも、そのスピードはともかくとして、段階的に混乱が広がって行く可能性の方が高いからです。

 

そこでは極端に言ってしまえば、備蓄その他の備えが十分に出来ている人が、それをまったくして来なかった人達を扶養すると言う事は基本的に起こらないと思います。なぜなら、それをしないのではなく出来ないからです。そんな事を始めてしまえば、あっと言う間に共倒れになってしまいます。

 

備蓄等のある人達は、調和的な観点からワンポイント・ワンポイントでのサポートについて、調和的なコミュニティーを広げて行く上でどの様にそれを行って行けば良いのかを考える事になります。なぜなら、それがその人自身が生きて行く上でも欠かせない取り組みになるからです。

 

先にも書いたように、今からの混乱は年単位に及ぶものであり、周囲に襲われる心配も無く自給自足的な環境が確保できていれば別ですが、基本的には備蓄や備えだけで乗り越えられるものではありません。

 

そのために、力を合わせて混乱期を乗り越えて行くコミュニティーを育てる必要があるのです。そして、そこはある程度の田舎的な環境である必要があります。自然と調和しその恵みを受け取る事の出来る田舎であれば、人々が調和的な繋がりを見出す事によって、ある程度の需給バランスを取る事が出来るからです。

 

その時、自分達がこの自然の中にあっていかに大きな恵みに包まれているのかを知っていれば、人々が協力し合う事によって何とかなるであろうと思うのです。

 

しかし、そこに恵みがある事に気が付かないのであれば、どうしようもありません。つまり、山には枯れ枝があり、空からは雨水が降り注ぎ、食べることの出来る野草がそこかしこに生えているのに、ガスや水道が止まり店の棚が空っぽだからお手上げだと言うのではどうしようもないと言う事です。

 

自然と調和して生きる知恵、つまり太陽光との付き合い方・雨水との付き合い方・森の木々との付き合いから・近所の草木との付き合い方まで、それがそのままサバイバルな知識となって行きます。本来の人間と言うのは、そうして自然と共に生きて来たのです。

 

文明を捨てる事が正しいと言いたい訳ではありません。しかし、旧文明が自ら崩壊して行く混乱期にあっては、自然と人間のそうした基本的な関係を知らずに、それを乗り越えて行く事は難しいものと思われるのです。

 

備蓄を気前よく分け与えれば、あっと言う間に尽きて共倒れともなりかねませんが、そうした知恵と言うのは、分ければ分けるほど他の人の知恵とも繋がり合って大きくなり、調和の輪として広がって行く事になります。

 

そうして自然が与えてくれる恵みをみんなで効率的に受け取る事が出来れば、それを分け合う余裕も生まれる事になるのです。混乱後期には日曜消耗品・備蓄なども尽きて行くために、それまでに社会変化に応じて、そうしたコミュニティーを周囲に広げて行く必要があります。

 

それは、全ての人によるものではなく、その意思がある人達によって進められることになると思います。つまり、義務や責任・統制によるものではなく、主として志を同じくする人たちの繋がりによって進められるものであり、各自の自由意思・自己選択によって進めた方が色々な意味で上手く行くだろうと思うのです。

 

つまり、地域性なども含めて一概には言えませんが、最も機能すべき最小単位である地域自治体と言うのは、そうした意味において始めは上手くスムーズには機能しない傾向がある様に思います。

 

だからこそ、志を同じくする人たちがその個々の繋がりによって動き始め、それを見て合流してくる人達が増え、その流れが育った所で自治体に引き継がれて行く事になると思います。そうして、何が必要かを理解し志を持って動き始めた人達が、地域のリーダーとして見出される事になるのです。そこから、新しい社会へのポジティブな流れが加速し始める事になります。