良いも悪いも、全ての経験を創造しているのは、それを経験している自分自身になります。

 

「経験の為の素材」は地球的・社会的な環境等によって与えられますが、それは分かりやすく極端に言えば、単なる物理的な出来事であったり音の組み合わせ(言葉)であったりするものです。

 

その物理的現象としての出来事を、どの様に解釈しどの様に経験するのかについては100%自分次第であり、私達はそうした自分の経験創造能力によって、今ある経験を楽しみあるいはそこから学んでいるのです。

 

 

そうした時、波動の高い人ほどポジティブな経験を創造する能力があり、波動の低い人ほどネガティブな経験に自ら囚われに行く傾向があります。

 

それは逆に考えることも可能で、ポジティブな経験を創造できる人ほど波動が高いのだと言う事も出来ます。

 

私達の経験創造サイクルと言うのは、「出来事→信念→感情→思考→行動→(以下繰り返し)」となっています。

 

そして、多くの人は思考(知識・情報)の領域で経験を大きくポジティブなものに変えて行こうと努力を重ねています。それ自体は間違いではないのですが、経験創造サイクルそのものをポジティブな流れに乗せて行くためには、信念(常識・世界観)を3次元的なものから4次元(5次元)的なものへと置き換える必要があるのです。

 

言ってみれば、思考の領域での取り組みは「対処療法」であり、信念の領域に起こる変化が「根本療法」となるのです。

 

そうした仕組みについては、電子書籍などにも詳しく書いて来たものですが、同じ次元の中に居る間は思考の領域での努力が繰り返される傾向がありますが、次元を越えるアセンションなどの時期にはその集大成として信念(常識・世界観)を新しい次元に対応したものに取り換える必要があるのです。

 

例えば、個別には「お金→ゆとり」「社会的地位→信頼関係」「都会→田舎」「物質偏重→精神主体」「死んだらお終い→死後も存在は続く」「地球人だけ→宇宙は生命に溢れている」と言う例が延々と挙げられて行く訳ですが、そうした個々について「その都度いちいち頭で考える」のではなく、「それをパッと瞬間的に判断することの出来る常識・世界観を持つ」事が大切になるのだと言う事です。

 

そうした、信念の領域における常識転換には何年・何十年もの時間がかかるものです。1つの例についてその考えを変える事には、衝撃的(トラウマ的)な経験などがあれば短時間でも可能なのですが、広く全体的な世界観として覆すには時間がかかるのです。

 

そのため、私達はこれまでの人生の中で、自分の中に植え付けられた思考を1つずつひっくり返す努力を続けて来ました。「お金より生きがいを大切にしたい」であるだとか、「都会の雑踏より田舎の自然の方が良い」と言うように。

 

そして、大統領選挙での大規模不正やコロナやワクチンの騒動等を通じて、今まさに信念の領域における「常識・世界観」の大転換に挑んでいるのです。

 

そうした経験の中でおわかりでしょうが、思考(知識・情報)の領域でその転換への取り組みを重ねて来なかった人達については、今回の機会のなかで信念の大転換(パラダイムシフト)を起こす事は難しいのかも知れません。

 

人にはそれぞれが選択した学びが存在しており、同じ経験機会の中にあっても、そこで何を経験し何を学ぶのかは人それぞれなのです。そして、その学びは常に尊重されるべきです。(否定によって問題が解決するものではないのです)

 

間違っているからと言って、その人の学びを否定し成長の機会を奪う事は建設的ではないと言う事です。ただ、よりポジティブな方向への選択肢を1つの意見として共有する事には、とても大きな意味があると思います。しかし、それを選択するかどうかについては、結局、それを経験する人自身が決める事になるのです。

 

(否定によって強引に選択を修正させても、その人(魂)が根本的な学びを得ていない限り何度でも場所を変え相手を変えて、その人はやめさせようとする経験の中に向かって行く事になります。)