過去の米ソ冷戦時代において、世界では「資本主義・個人主義」vs「共産主義・社会主義」と言う社会構造の対立がありました。そして、その対立はソビエト連邦の崩壊によって「資本主義・個人主義」の勝利に終わったと言う事になっています。

 

しかし、このまま資本主義が続いて行けば、近い将来に社会はどの様な現実に直面するのかをご存じでしょうか?私達の社会の多くの人々は「自分で考える事を放棄」し、ただ、上からの指示に従って「みんなと同じようにある事」を選択しています。そうしたあり方を続けて行けば、この資本主義の世界はどのような明日へと行き着く事になるのでしょうか。

 

 

資本主義の資本とは、主に「お金・出資金」の事になります。つまり、経済活動が起こる上での基本となる「資金・商品や材料・労働力」において、資金の出資者である富裕者が主体となる経済システムです。そもそも、その仕組みを構築したのが富裕者の人達なのですから。

 

つまり、解りやすく言えば「雇用の維持」よりも、「株価・配当の維持」が優先される性質を持っているのです。株価とは出資者・富裕者が持つ会社の権利書の価格であり、配当とは出資者・富裕者への上納金です。過去にも不況になるたびに、そうした現実が露呈される形で大規模なリストラが繰り返されて来ました。

 

そして、今後は経済のあらゆる分野で、機械とAI(人工知能)の融合が進み、製造業に限らずサービス業を含むあらゆる分野で仕事がオートメーション化されて行く事になります。つまり、経済活動における3つの要素が、「資金・商品や材料・労働力」から「資金・商品や材料・テクノロジー」へと変化し始めているのです。

 

もし、このまま「あなた」が何も考えずに、ただ黙ってみんなの後をついて行くのであれば、「あなた」がお金を得るために提供して来た労働力は、基本的に人工知能を搭載した機械に置き換わっていく事になります。そして、街中には失業者が溢れる事になるのです。

 

その結果として生み出される莫大な富の全ては、先進的なテクノロジーを有する大企業の大株主の元へと流れ込んで行く事になります。それが、今ある資本主義社会の「必然的な最終形態」です。

 

これは、自分で考えさえすれば極めて単純な話なのです。

 

この物質的な経験世界と言うのは、素粒子や電子が飛び交うエネルギーの海を「人間的な五感と言う映写機」によって「自らの意識と言うスクリーン上」に「仮想現実」として映し出しているものです。そして、そこに映し出される現実は、それを観測している魂の波動に共鳴した形で展開されて行きます。観測者と観測物とは、「経験世界」と言うカードの裏表の関係にあるのです。

 

つまり、このまま黙ってみんなの後ろ、つまり資本主義の流れに着いて行くのであれば、その人(魂)は貧富の格差が極限にまで拡大した現実の中へと突き進んで行く事になります。そこは、世界的な富豪であるグローバリスト達が支配する世界であり、皆さんはその支配体制のもとで、事実上の奴隷として管理されて行く現実を観測(経験)する事になるのです。

 

それは、ある意味で自然な成り行きです。

 

私達が経験しているこの仮想現実の中では、各自の「自由意思」がとても大切なものとして尊重されています。それは、各自が「自らの選択に対する結果を経験する」事によって、魂としての大きな学びの機会を得る事が出来るからです。だからこそ、考える事を放棄してみんなの後を付いて行く事で、支配者に管理され奴隷の様に生きる結末を経験する事さえも許されているのです。

 

しかし、そんな経験は冗談ではない「そこから得られる恩恵をみんなで分け合って」、「誰もが自由に生きて行く事の出来る社会のあり方があるはずだ」と、自分が置かれた立場の中でそうした変化の必要性を考え、それを自分の人生の中に反映させて行く人達もいます。

 

その様にして、自らの内に波動上昇を起こしている人達の「意識に投影される仮想現実」は、「より調和的な現実を探求して行くのに相応しい世界」へと移行して行く事になります。「観測者」と「その意識の中に映し出される経験世界(仮想現実)」は、表裏一体のカードであり、自立的な1つの世界を形成しているのです。

 

そこでは、AIを搭載された機械の普及によって、人々は生きるための労働から解放される事になります。生活必需品は、自動生産された物を必要に応じて受け取る事ができ、人々は好奇心が赴くままに、趣味への時間を主体とした生活スタイルへと移行して行くのです。もちろん、資本主義は放棄され、人々の個性が尊重される形での緩やかな社会主義的性質を持ったあり方へと移行して行く事になります。

 

そして、趣味を通じての社会貢献が日常生活に多様性をもたらし、その喜びを共感する事によって社会全体としての一体的な調和が広がって行く事になるのです。

 

これが、自然な形での知的生命の発展スタイルとなります。これまでの様に「競争・争い・殺し合い」へと向かい、「お金・権力・支配」が社会(歴史)のテーマとなるのは、どこかに歪んだ力が働いているからなのです。その歪みがエゴであり、比較競争(他人を負かす事で幸せになる)と言う思想によって、私達の経験の中に反映されて来たものになります。

 

つまり、エゴに固執している人は、資本主義の破滅的な結末と言う「仮想現実」を、その意識と言うスクリーンに映して行く事になるのです。一方で、エゴと言う低波動の重しを手離した人々は、スクリーンに映し出す仮想現実を一体的な調和の世界へと切り替えて行く事になります。

 

魂の視点から見れば、それが私達がこの人生の中で経験しているストーリー(タイムライン)の仕組みなのです。ここから先、私達は各自の選択に応じて、この様な異なる2つのタイムラインへと分離して行く事になります。

 

既に、それらのタイムラインは事実上分離した状態にあるのですが、これまでは並行して進んで来たために、まだ異なるタイムライン上の人々との交流も可能な状態にありました。しかし、その一方で世界観の相違は決定的なまでに大きく拡大しており、本音の部分でその価値観を共有して行く事が困難な状態となっています。

 

そして、ここから先は並行して走って来た2つのタイムラインが、いよいよ「完全に異なる世界」へと向かって本格的な分離を始めるために、何れの現実においても「大きな混乱」と「大規模な人口の減少」が起こる事になります。そして、その混乱を抜け出した先には、それぞれ完全に異なる別世界が待っているのです。