愛の表われとしての「愛情・友情・愛おしさ」等と言うのは、非常に心地の良い経験です。一方で、そうした愛の不足・個としての自己に囚われた愛・エゴが生み出す経験としての「怒り・憎しみ・嫉妬」等と言うのは、非常に心地の悪いものです。

 

そうした感覚の傾向と言うのは、宇宙的な法則に基づいた一貫性のあるものであり、意味なくランダムに感じられるものではありません。では、なぜ愛は心地よく、それが小さく委縮すると不快に感じられるのでしょうか?

 

 

この世界は多様性に溢れています。多種多様な動植物が存在し、人間においても様々な人種があり、同じ人種であっても各人の個性は千差万別で2つとして同じものはありません。

 

しかし、この地球上に存在する数十億の人々も、その起源を遡って行くと最初の1人あるいは2人(男女)へと辿り着くことになります。

 

進化論的な種の分岐が自然に起きたのか、高次元存在達によって人工的に起こされたのかは別の問題として、そうした種の分岐を遡って行くと、1つの考えとしてそうした人類の源は猿たちの源と合流し、やがては爬虫類や魚類とも合流し、さらに単細胞生物、そして地球上で最初の生命にまで遡る事になります。

 

その生命が地球上の素材をもとにして誕生したのであれば、その生命の源は、地球上の様々な素材の源とも合流して行く事になります。そして、その惑星地球の源は太陽系にまで遡り、太陽系の源は天の川銀河へと遡ります。そうした銀河系の誕生を遡って行くと、それはビッグバンにまで辿り着きます。

 

では、ビッグバンの前は、一般的に言われている様に無の世界であったのでしょうか?それは、正解でもあり誤解でもあります。つまり、この3次元波動域における物質世界は無であった訳ですが、その源となる多次元エネルギー世界が無であった訳ではありません。本当に完全な無からは、何も生まれようがないのです。

 

その多次元に区分されたエネルギー世界の前には、区分のない純粋な1つのエネルギーが存在していました。それが、高次元存在達によって解明されている「存在の源」であり、そのエネルギー存在がどの様にして誕生したのかについて知るものは、この多次元宇宙の中には存在しません。つまり、誰にも分からないのです。

 

その全ての存在の源である1つのエネルギーを、人は「神」と呼び、あるいは「大いなる全て」等と読んだりします。他にも各自の信念体系によって様々な呼び方がある訳ですが、名前は何であれ、全ての存在は1つの源としてのエネルギーにまで辿り着くのだと言う事です。(ここからはその究極の源を、仮に「神」と書く事にします。)

 

そして、そこ(神)からあらゆる次元・宇宙・銀河・太陽系・惑星・動植物・人類への分岐が広がって行ったと言う事です。つまり、全ては神の一部であり、その総体としての神と直接に繋がっているのです。それは、限定された物理的な視点から繋がっていると言う意味ではなく、より根源的なエネルギーにおいて全ての存在(命・意識・魂)は神と一体的に繋がっていると言う事です。

 

さて、ここで冒頭の「愛」の話に戻りましょう。個々が小さな自己としてのエゴに囚われ、怒り憎しみ合って争っている時、それはより大きな視点からはどの様に映るでしょうか?同じ神の一部が争っているのです。例えば、右手が左手を叩き、左足が右足を踏みつけている様なものです。

 

そんな経験が心地よい訳がありません。だから人は、こうした分離的な争いを不快に感じるのです。私達は全体としての神と繋がっており、右手であると同時に左手でもあるのです。3次元と言う波動域においては、右手と左手、つまり自分と他人が分離している様に見えますが、実際には目に見えないエネルギー的な繋がりによって1つに繋がっているのです。

 

では、その右手と左手、右足と左足が、自他の差別なくお互いを大切にし合ったのであればどうでしょうか?それが「愛」です。そのとき人は、個としての小さな枠を超えて、より大きな神の一部としての本質を経験する事が出来るのです。

 

こうした経験を積み重ね深めて行くと、何が起こるのでしょうか?

 

ここで、例えを少し変えてみる事にします。私たち個々の人間を、神の指先だとします。私達にはそれが分離している様に見えますが、実際には手のひらで1つに繋がっています。

 

この時、第一関節までの指先を3次元の自己、第二関節までの指半分を4次元の自己、指1本を5次元の自己(ハイアーセルフ)、手のひら全体を6次元の自己(オーバーソウル)として見る事が出来ます。

 

つまり、これまで3次元の自己として世界を経験して来た私達が、その個としての枠を超えた愛によって世界と結びつく経験を重ねて行くと、個としての意識が拡大して4次元的な経験領域にまで自我が拡大して行くのです。さらにその先を進めば、5次元・6次元の自己にまでその意識が拡大して行く事になります。

 

そうした次元を越えた意識の拡大を「アセンション」と言います。

 

私達は現在、3次元的な意識から4次元的な意識へのアセンションを達成する事の出来る、非常に貴重なチャンスの中にいます。これは、何度となく繰り返して来た転生の先で掴み取った魂としての大チャンスです。

 

魂は永遠の存在であり、このチャンスを逃したからと言って絶望する事はないのですが、指先同士で「競争と言うルールある争い」に囚われた経験を続けるよりも、「世界と一体的に調和した」心地よい経験の方が遥かに楽しい経験である事は言うまでもありません。従って、魂の視点に立ってみれば、「小さな人間的エゴ」を手離して、より意識の拡大した視点から世界を経験できるようになりたいものなのです。

 

ただ、それを押し付ける気は毛頭なく、皆さんは好き生き方を自由に選択すれば良いだけの事です。

 

その選択は、表層的に「思考(知識・常識)」の領域から真似るものではなく、深層的に「信念(常識・世界観)」の領域から行動の伴った選択とする必要があります。すると、人によっては今回の人生で、5次元にまで意識を拡大できる可能性もあるのです。