年金にお金を掛けるのは未来が不安だから。保険にお金を掛けるのも未来が不安だから。教育にお金をかけるのも未来が不安だから。どこまでも貯金を続けるのも未来が不安だから。

 

 

後悔し続けるのは過去に囚われているから。恨んでいるのも怒っているのも過去に囚われているから。100%全てがそうだと言いたい訳ではなくて、私達の日常と言うのは、そうした過去や未来に囚われている比重が高すぎると言う事です。

 

なぜ、人生の中心に辛い仕事があるのかと言えば、お金が必要だと信じているからです。そして、実際に「未来への不安」と言う底なし沼に、お金を流し込み続けているのです。しかし、よく考えても見て下さい。今から世界規模での金融崩壊が起こる訳ですが、それを解りやすく言えば、これまで掛けて来た年金・保険(積立部分)・預貯金などが紙くずになると言う事です。

 

スピリチュアル的に言えば、「過去」や「未来」と言う時間は存在していません。それは単なる考え方なんですね。「変化」を「時間と言う物差し」の上に乗せて捉えた時の、考え方の1つなのです。証拠として、「あなたは過去や未来を生きたことがありますか?」ないですよね。

 

あなたが生きているのは常に「今」であり、他の全ての人も「今」しか生きたことがありません。実は「未来」と言うのは「可能性」の事なのです。その無限の可能性の中から「ネガティブな可能性」に人々の意識を向けさせ、無意味な(つまり紙切れとなって終わる)努力の底なし沼に人々を閉じ込めているのが、戦争を起こしワクチンと言う毒を世界にばら撒き、人々が労働から生み出した価値を搾取しているネガティブな支配者たちなのです。

 

例えば、コロナの騒動でどれだけの富が彼らとそれを手伝う人々の手に流れ込んだと思いますか?それは、日本国政府の令和2年度予算の中だけで77兆円(1人当たり61万円)です。つまり、4人家族であれば、その世帯で244万円もの将来的な増税を負わされる事になったのです。これらが、人々(奴隷である皆さん)の無知によって現実化された「今」です。その後もそうした負担は増加し続けており、補助金カットや増税議論が活発化している事は見てのとおりです。

 

これは、単純な事実です。しかし、あなたがこれを受け入れるかどうかは、あなたの問題であって私の問題ではありません。私はただ伝えた方が良いと思う事をこうして伝えるだけであり、あとは煮るなり焼くなりあなたの自由です。ただ、それをどう選択した所で今ある事実は変わりません。その選択によって変わるのは、あなたの経験です。そして経験が変われば、やがて事実も変わり始めます。

 

そこから抜け出す為には、自分の人生を他人に委ねず、自分で真剣に考える事です。人生を通じて。それを他人にホイホイと委ねてしまえば、こうなると言う事です。今ある現実は「収穫物」です。この収穫から私達は学ぶことが出来ます。それが不味いのであれば、育て方を変える必要があると言う事です。

 

つまり、もっと真剣に「自分の生き方」について考えようと言う事です。幸せとは何なのか?人生とは何なのか?

 

そして「今」を大切にする事です。その「今」が「未来」と言う可能性を引き寄せるからです。中学受験のために小学校生活を犠牲にし、高校受験のために中学校生活を犠牲にし、大学受験のために高校生活を犠牲にし、就職のために大学生活を犠牲にし、出世のために・・・定年後のために・・・介護が必要になった時のために・・・。それが、未来に囚われた生き方です。そこに「今」は無く、ただ未来への不安が延々と続いて行くばかりです。

 

そうして「今」の中に「犠牲」が積み上がって行くのです。そうではなくて「今」を楽しみたいのであれば、何よりもまず「今」を大切に生きる事です。家族や友人との時間であったり、趣味を楽しむことであったり。そうして「今」を楽しむことで、ポジティブな未来(可能性)が引き寄せられて来る事になります。それが、引き寄せの法則です。

 

「我慢すれば報われる」と言うのは、ネガティブな支配者達から奴隷である皆さんに送られた言葉です。冷ややかな笑いと共に。

 

ただ、「今」の中には「過去(記憶)」や「未来(可能性)」も同時に存在している事を理解する必要もあります。怠惰な欲望で今を貪れば、ポジティブな可能性(未来)は遠ざかって行く事になります。

 

こうした事は、人生を通じて学んで行くものであり、マニュアル的に受け入れるものではありません。長い目で、本物の成長を辿って行く過程を楽しむ事が大切なのです。