かつてブルース・リーが、そのヒット作の冒頭で「考えるな!感じるんだ!」と言ったセリフは有名ですが、スピリチュアルを考える上で「考える・マインド」と「感じる・ハート」の関係を理解する事は重要です。

 

 

小話としての、不倫を誤魔化す時の男女の違いには興味深いものがあります。男の人は「その時間には誰と何をしていた」と理屈的なアリバイで逃げようとするのですが、女の人は「私が信じられないの!」と感情的な訴えによって押し切ろうとする傾向があるそうです。

 

これに限らず、男性的・女性的な性質として、男の人は何かと考える傾向が強く、女の人は逆に感じる傾向が強いように思います。それ故、男の人が中心となって創り上げたこれまでの社会は、先へ進めば進む程に「理屈・理屈」で雁字搦めとなり、いつしか人は社会の歯車となって、感じる事を楽しむゆとりを失って来たのです。

 

そうした事から、これまでの社会が限界に達した今こそ、ハートで感じる事の重要性がスピリチュアル的に訴えられています。

 

これは、男の人が出る幕は終演で、女の人の時代が始まると言うのではなく、「マインドが主導する時代」は終わり、「ハートが主導する時代」が始まると言う意味です。男女の別なく、その内にはハートとマインドが存在しており、それらのバランスを取りなおす必要があるのです。そうして各自の内面において、「考える事」と「感じる事」とが調和的にバランスを取る事で新しい時代が始まります。

 

これが女性性の復権と言われるものであり、必ずしも女性が社会を主導すると言う意味ではありません。女性はこれまで以上に活躍し、男性も同様に活躍する。どちらが上でどちらが下と言う、比較競争的・優劣的な見方が完全に終わりを迎えると言う事です。

 

各自が内面世界においてハートとマインドのバランスを取る時、その主導権を握るべきはハートです。ハートは内なるエネルギー世界と繋がり、私達に魂の声を伝えて来ます。一方でマインドは外なる物質世界と繋がり、この世界の現実について教えてくれるのです。

 

これまでの社会はマインドが主導してきたために、意識の主体が外側の物質世界に置かれ、物やお金や社会的地位を得る事が幸せなのだとされて来ました。それが、ハートとマインドによる主従が逆転した社会です。その結末としての現状は、「今だけ・金だけ・自分だけ」の人々が世界を主導し、「他人の命」より「自分の地位や収入」を求める人々で社会がごった返している状態です。

 

ワクチンが毒である事を知りながら、高濃度の放射能で汚染されている事を知りながら、金融商品がお客のためにならない事を知りながら、農薬や添加物が健康に害を与える事を知りながら、それらが人々の健康や子供たちの未来を破壊している事を知りながらも「自分の地位や収入」を守るためにそうした社会に従い続けているのです。

 

なぜか?それはマインドがこう言うからです。「他人も大切だけど、まず、自分や家族を守る事が優先だ」「そのためにはお金が必要だ」「お金を得るためには仕事が必要だ」「自分は言われた事をしているだけだ」「自分だけ社会の流れに抗っても意味が無い」「それが嫌な人は打たなければ・買わなければ良いだけの事」「自分がそれを強制している訳ではない」

 

ハートにしてみれば、これら全てはアウト!完全な戯言ですよね。ハートは自他を差別せず、全ての調和と幸せを求め続けています。それをこの世界の現実の中で上手に導くのが、本来のマインドの役割なのです。

 

つまり、本来は「ハートが主体」となって「マインドがそれをサポート」する関係になるべきなのですが、これまでの社会はマインドがハートから主導権を奪い取っていたのです。ハートから主導権を奪い取ったマインドの事を「エゴ」と言います。

 

今、私達が取り組むべきは、各自がその内面世界においてマインドからハートへの大政奉還を実現する事です。人々の内面世界に変化が起これば、それは必ず外面世界の現実に反映されます。それによって、世界が根本的な土台から覆って行く事になるのです。正義の味方が看板を掛け替えてくれるだけの対処療法では、時間と共にまた元通りになってしまいます。