人によっては、スピリチュアルをお花畑的な思考としてバカにする人もいます。確かにスピリチュアルに関心を持つ人達の中には、一定の割合でそうした段階にいる人達も存在しています。ただ、各自のスピードで、いずれそうした学びの段階は越えられて行くものです。今回の人生であれ、次の人生やその先の人生であれ。

 

 

お花畑的な段階を表す例え話として、次のようなものがあります。

 

ある町に、神様を信じる敬虔な信者がいました。ある時、その町が洪水に襲われました。信者達が住む低地から非難するために、近所の人が「一緒に避難しましょう」とその信者に声をかけました。しかし、信者は「私には神様がついているから大丈夫です」と言って断りました。

 

徐々に地面が水に覆われて行く中で、車で非難する人が信者に気付きました。その人は驚いて車を止めると、信者にこう声を掛けました「一緒に避難しましょう」と。しかし、信者は「私には神様がついているから大丈夫です」と言って断りました。

 

みるみると水位が上昇する中で、信者の家の前をゴムボートで非難する人が通りかかりました。「一緒に避難しましょう」。しかし、信者は断りました。「私には神様がついていますから」。

 

やがて、周囲一帯は水没し、救助隊のヘリコプターが屋根の上にいる信者を見つけました。「一緒に避難しましょう」。しかし、信者は断りました。「私には神様がついていますから」。そして、信者は溺れて亡くなってしまったのです。

 

死後の世界で信者は神様に詰め寄りました。「私はあんなにも敬虔なあなたの信者であったのに、なぜ、私を助けてくれなかったのですか?」と。

 

神様は答えました。「何を言っているんだ。1度目は近所の人として、2度目は車で非難する人として、3度目はゴムボートで、4度目はヘリコプターで助けに行ったではないか」と。

 

これが、お花畑型信者の典型的な例であると思います。つまり、この信者は「物質的な現実界のルール」を超越した、奇跡・魔法を求めていたのですが、神様の助けとは、日常的な現実を通じて行われるものであり、「調和的でポジティブな視点」に立つことでその意図を読み取って進むことが大切なのです。

 

ここでは「神様の信者」と言う事で、私は宗教は信じていないからと思われるかも知れませんが、これは「神様」を「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」などのお気に入りの言葉に置き換えても同じことなのです。

 

目の前の現実を無視して、私は「引き寄せの法則」を信じているから大丈夫と、現実から乖離した空想の世界に閉じこもってしまったのでは、この助からなかった信者と同じ事になります。

 

今や金融・経済は、世界規模での崩壊寸前です。そうした知識が無くて分からないと言うのであれば、ワクチンの問題に目を向けても、世界人類が大きな転換点を迎えている事は分かるはずです。それらを伝える情報は、今やネット上に溢れており、「スピリチュアルな視点」に立つことでそれらを前向きに捉え、地に足を着けてこの現実を進んで行く必要があるように思います。