今日、母親にクレジットカードが送られてきた。本人は契約をした覚えがないとのこと。1月にも同様にクレジットカードが送られてきています。どういう経緯でこのクレジットカードが作られたのかは不明。経緯についてはクレジット会社に今後問い合わせるとして、今後こんな契約をしないように対策を講じないと大変なことになるだろう。(>_<)


 前から“任意後見人”をしようと思っていたのですが、これには取消権がない(たぶん)。代理権か同意権だけ(確か・・・)。だから“法定後見人”の補助だと取消権がありそうなので、その申し立てを家庭裁判所にする方向で考えようと思っています。また仕事が増えた。

 昨日、市役所に行って 介護保険の介護認定の申請書を提出してきました。要支援くらいはでるかとは思います。認定が下りれば、次は自宅の改造工事です。業者をどこにするか、どういう風に改造するか、予算はいくらくらいにするか、もし認定が“自立”だったときはどうするか・・・いろいろと考えないといけないです。


 先日、医者に行ったときに「ぼちぼち動くように」との診断だったので、母親はちょろちょろしています。いろいろ衝突することも以前からあったので、10日には自分の家に帰ることにしました。距離を少しおいた方がお互いに良いような気もしますし、自分の家の掃除とかもしないとすごいことになっているので・・・。

 市役所に行って『緊急通報システム』のチラシをもらってきました。将来的には設置しないといけないのかと思ってもらってきました。でも今すぐって訳ではないんです。


 それから、電話回線をNTTからどこかに見直そうかとも思っていますが、これには問題があります。例えば、KDDIの回線だとこの『緊急通報システム』が使えないんだそうです。携帯がauなのでKDDIにしたら月々約400円くらい安くなるみたいです。でも『緊急通報システム』は使えない。


 ただ、この『緊急通報システム』を設置するには近所に協力してくれる人が3人いります。でもそんな人はおりません。近くに従兄弟がいますが、実の息子が離れて暮らしていて協力員になってくれと頼むのは少し心苦しいところがあります。そんなシステムを設置するくらいなら一緒に住めばいいって言われるのは目に見えています。あー、また考えないといけないことが増えました。


 電話回線をNTTをやめると、このシステムが使えない。このシステムを設置しても近隣の協力員3人が確保できない。ということは、電話回線を変えてしまってもいいような、何とか協力員を3人捜そうか・・・。

 やっぱり、実家を改築しようかと思っているんですが、どこをどうしていいのやら・・・。

介護保険の申請をして認定されれば、介護保険の住宅改修の給付もあるし、市からも助成金が出るようなので改築を考えています。


 でも実家はすごく古いんです。段差を解消するにもいっぱい段差があるし、手摺りを付けても階段は急だし、窓を閉めてもすきま風は吹くし・・・。


 それよりも耐震補強工事もしないとダメなんです。今度少し大きいなのが来たら完全に潰れるらしいんです。無料の耐震診断をした結果です。


 どこをどうすれば“安く”住みやすい家に改築できるのでしょうか?


 別にさぼっていたわけではなく、特に書くこともなかったので・・・。(^_^;)

更新しない間も多少の衝突はありましたが、書いても仕方がないので更新しませんでした。


 昨日、親を病院に連れて行ったらボチボチ動いてもいいとの医者の診断でした。といっても全部親に任せて自分の家に帰るわけにも行かないので、しばらくは様子を見るために実家におります。

 最近は特に書くようなこともないので更新しておりませんが、

といって波風が立ってないわけではないです。


 今月中には治ってくれることを祈るのみです。

 最近の歌の歌詞に“ひとりじゃない”っていうフレーズがよく使われる。ナゼか空しさを感じる。


 実際はどうなんでしょう。今日の新聞に兵庫の復興住宅での孤独死をした人が69名だったと載っていました。その数は減る傾向にはない。大半は病死らしい。


 ことさら歌の歌詞で“ひとりじゃない”というのは、お互いに孤立していて繋がりを失っているのではないでしょうか。


 母親の足腰に一段と衰えが出てきました。


 立ったり座ったりに一段と時間がかかるようになってきました。前々から年齢の割に衰えは見られましたが、一層進んでいるようです。でも、骨折をして安静が必要なので、運動とかさせるわけにはいかず、この状態をなんとか乗り越えないとイカンとは思っているんですが、当の本人は気にもかけていない様子です。


 最悪なことに、座るときに尻餅をつくように座るのです。もともと物などもよくポイッと投げるのがクセなのですが、そういう感じで、尻餅をついて座るように見えるんです。やめろといってもやめません。自分でもこんな風に座るのはダメだとはわかっていると口では言っていますが、「自分としたらこの方法でしか座れない」ともうすでに思いこんでいるようです。こうなると、なかなか改めないんです。座りにくいなら、別の方法を考えるようには言いましたが・・・。


 4月から介護保険に予防給付が実施されるようですが、それを上手く使って筋力アップをとは思っていますが、それまでの間をどうするか。また思案が必要です。

 歳を取ると“頑固”になると言われている。

それは正しいようで、違うような気もする。


 おそらく、お年寄りが今までやってきたことは体が覚えているんでしょう。

考える前に体が動いてしまう。その方が本人にとっても“楽”なんでしょう、きっと。


 いろいろ考えなくてもいい、覚えなくてもいい、体が覚えている通りにやればいいと・・・。

だから、変えられない、変える必要もない・・・。


 もちろん、それだけではないんだろうけど、一つにはそんなことなんだろうと思う。

 僕はちゃんと生きているのだろうか?自信はない。全くない。


 そもそも“ちゃんと”とはどう生きれば“ちゃんと生きる”ことになるのだろうか?いろんな考え方がいろだろうと思う。「まじめに」「一生懸命に」「間違ったことをせずに」「誰にも迷惑をかけずに」・・・と。


 自分のとってどう生きたら“ちゃんと”なのかわからない限り答えは出てこないような気がする。


・・・そんなことを48歳で亡くなった従姉妹の葬儀に行って考えてしまった。