むかしむかしの大昔、
「コンチネンタルⅡ」(以下、コンチⅡ)というパチスロ台がありました。
コンチⅡを導入していたパチ屋の入り口の自動ドアに直貼りされたポスターには黄色いパネルの筐体写真、
そして「幸運測定機」というキャッチコピーが踊っておりまして、
私はそのポスターを見ながら、
「良し、今日もコンチⅡで運試しだ!」
と鼻息を荒くしながら店内に吸い込まれて行ったのです。
…が、
ウィキ何とかで調べてみたらコンチⅡのキャッチコピーは、
「新・幸福測定機」って書いてありますね。
幸運と幸福は私の勘違いだとしても、
「新」の文字まで見落としていたのは意外でした。
新、があるということは旧・幸福測定機も存在するという訳で、
そうなると何がそれに該当するのかしら?
リバティベルシリーズなのか、ファイヤーバードなのか、
はたまたナイアガラなのか、
魔法少女リリカルなのか(ニアミス)。
そのあたりは私よりさらに年配の方に聞いてみないとわかりませんが、
パチスロはその日の幸福を測定する機械という言葉には、
当時の私を突き動かす衝撃的な魔法がかけられていて、
そして今もなお強く私を揺さぶっているのです。
では現在の私にとっての幸福測定機とは何か。
それは間違いなく「アナザーゴッドハーデス」です。
あ、
凱旋ちゃんは不幸直通機ですからここでは話題にしませんから。
私にとってのアラサーチョットハゲデスちゃんは、
まさにその日の幸福を測定するためのマシンです。
基本的に確定役を引かなければまともに勝てませんし、
確定役を引いただけではダメでむしろそこからが大切、
もちろん何も引けなきゃ大敗確実。
伸るか反るかのギャンブルの醍醐味をうまくゲーム性に取り入れている、
レバーの1打、1叩きに興奮できるナイスマシン、
いや、
ナイスマシーンだと思います。
言い直した理由は自分でもよくわかりませんが。
事実、
ゴッデスを打った日は大勝ちして満面の笑顔で電車に乗って、
車内でちょっと頭のおかしい中年男性発見&通報、
みたいな雰囲気で帰宅したこともありますし、
大負けして尻の毛どころか全身永久脱毛(眉毛を含む)された気分で所持金18円、
帰りの電車に乗れずに3駅分の道のりを徒歩で帰宅のち気絶、
というありふれた惨劇に見舞われたこともございます。
それらはすべて機械の測定結果でありまして、
また次のチャンスではこれまた別の結果であったり、
前回同様の結果であったりするのですが、
一度たりとて全く同じような展開を経ることはございません。
これがパチスロというギャンブルの面白いところですね。
私はこう思うのです。
人生においての大きな幸福、
本当の意味での幸福とは自ら汗をかいて必死になって手を伸ばさなければ、
決してつかめない得難きものであるのに対して、
パチスロにおける小さな幸福、
ほんの一時のささやかな幸福とは手をいくら伸ばしてもまるでつかめなくて、
ふと気を緩めたり背を向けた刹那に、
あっさりと手のひらの中へとこぼれ落ちてくるような、
誰にでも得られてしまう不可思議なものである、と。
実際にハーデスはもちろん、4号機時代の悪魔のような神様の頃から、
ミリオンゴッド(シリーズ)を打っててGODを引いた時って、
「ゴッド引け、ゴッド引け、お願いします引かせてください」
と必死に願いながらレバーを叩いた時に引いたことなんて、
ただの一度たりとも無いんスよ。
もうそろそろ帰ろうかなとか、
あの女子店員が最後に絶頂ラッシュに突入したのは、
いったい何日ぐらい前なのかな~とか、
永井真理子って今は何をやってんのかなぁとか、
そういうことを考えていた時にポロッと降臨なさる訳です。
神様というのは少なくとも努力した者だけに幸福になる権利を与えますが、
ギャンブルの神様に限ってはとても気まぐれなのだ、
私はそう信じて今日も機械の前で合掌するのです。
(ギャル店員のヒソヒソ話を地獄耳でキャッチしつつレバーON)
「コンチネンタルⅡ」(以下、コンチⅡ)というパチスロ台がありました。
コンチⅡを導入していたパチ屋の入り口の自動ドアに直貼りされたポスターには黄色いパネルの筐体写真、
そして「幸運測定機」というキャッチコピーが踊っておりまして、
私はそのポスターを見ながら、
「良し、今日もコンチⅡで運試しだ!」
と鼻息を荒くしながら店内に吸い込まれて行ったのです。
…が、
ウィキ何とかで調べてみたらコンチⅡのキャッチコピーは、
「新・幸福測定機」って書いてありますね。
幸運と幸福は私の勘違いだとしても、
「新」の文字まで見落としていたのは意外でした。
新、があるということは旧・幸福測定機も存在するという訳で、
そうなると何がそれに該当するのかしら?
リバティベルシリーズなのか、ファイヤーバードなのか、
はたまたナイアガラなのか、
魔法少女リリカルなのか(ニアミス)。
そのあたりは私よりさらに年配の方に聞いてみないとわかりませんが、
パチスロはその日の幸福を測定する機械という言葉には、
当時の私を突き動かす衝撃的な魔法がかけられていて、
そして今もなお強く私を揺さぶっているのです。
では現在の私にとっての幸福測定機とは何か。
それは間違いなく「アナザーゴッドハーデス」です。
あ、
凱旋ちゃんは不幸直通機ですからここでは話題にしませんから。
私にとってのアラサーチョットハゲデスちゃんは、
まさにその日の幸福を測定するためのマシンです。
基本的に確定役を引かなければまともに勝てませんし、
確定役を引いただけではダメでむしろそこからが大切、
もちろん何も引けなきゃ大敗確実。
伸るか反るかのギャンブルの醍醐味をうまくゲーム性に取り入れている、
レバーの1打、1叩きに興奮できるナイスマシン、
いや、
ナイスマシーンだと思います。
言い直した理由は自分でもよくわかりませんが。
事実、
ゴッデスを打った日は大勝ちして満面の笑顔で電車に乗って、
車内でちょっと頭のおかしい中年男性発見&通報、
みたいな雰囲気で帰宅したこともありますし、
大負けして尻の毛どころか全身永久脱毛(眉毛を含む)された気分で所持金18円、
帰りの電車に乗れずに3駅分の道のりを徒歩で帰宅のち気絶、
というありふれた惨劇に見舞われたこともございます。
それらはすべて機械の測定結果でありまして、
また次のチャンスではこれまた別の結果であったり、
前回同様の結果であったりするのですが、
一度たりとて全く同じような展開を経ることはございません。
これがパチスロというギャンブルの面白いところですね。
私はこう思うのです。
人生においての大きな幸福、
本当の意味での幸福とは自ら汗をかいて必死になって手を伸ばさなければ、
決してつかめない得難きものであるのに対して、
パチスロにおける小さな幸福、
ほんの一時のささやかな幸福とは手をいくら伸ばしてもまるでつかめなくて、
ふと気を緩めたり背を向けた刹那に、
あっさりと手のひらの中へとこぼれ落ちてくるような、
誰にでも得られてしまう不可思議なものである、と。
実際にハーデスはもちろん、4号機時代の悪魔のような神様の頃から、
ミリオンゴッド(シリーズ)を打っててGODを引いた時って、
「ゴッド引け、ゴッド引け、お願いします引かせてください」
と必死に願いながらレバーを叩いた時に引いたことなんて、
ただの一度たりとも無いんスよ。
もうそろそろ帰ろうかなとか、
あの女子店員が最後に絶頂ラッシュに突入したのは、
いったい何日ぐらい前なのかな~とか、
永井真理子って今は何をやってんのかなぁとか、
そういうことを考えていた時にポロッと降臨なさる訳です。
神様というのは少なくとも努力した者だけに幸福になる権利を与えますが、
ギャンブルの神様に限ってはとても気まぐれなのだ、
私はそう信じて今日も機械の前で合掌するのです。
(ギャル店員のヒソヒソ話を地獄耳でキャッチしつつレバーON)