遡ること14年前。
僕が最初に働いていた、「パーラー歌声喫茶」でのお話。
一緒に働いていたスタッフは、自分を含め20代前半のスタッフが多く、
仕事の前後(休憩中もあったなw)によく、連れスロに行っていました。
今回紹介する「マコトくん」は、その中でも最年少の19歳。
班長たちからは「茶坊主」「こわっぱ」などの愛称で呼ばれ、
いじられ倒すその姿は、小学生に捕まったカブトムシのようでした。
しかし、マコトくんは、ドランクドラゴン鈴木似の顔でありながら、
スロットの腕前はたいしたもので、
いつも財布の中には、万券がギッチリ詰まっておりまして、
スロットに関しての知識をレクチャーしてもらった記憶があります。
ある日、そのマコトくんから、
「砂肝兄さん(←何故か彼からはこう呼ばれていた)、明日僕の地元で、
全台モーニングの新装があるんで、行きませんか?」
と誘われました。
モーニングといえば、朝イチでビッグボーナスフラグが成立している台。
当時は朝の集客を図るため、
このようなサービスをしているお店が多かったのです。
それが新装ともなれば、激アツ必至。
「もちろんいくよくるよ」
と即、快諾し、ワクワクテカテカしながらその日は就寝しました。
翌日。
恋ヶ窪という三億円事件でちょっとだけ有名な駅で待ち合わせた僕らは、
本日新装の「パチンコ熟女快感」(そんなイメージの仮名)の入り口で、
石原軍団の炊き出しを待つオバチャンのような気分で開店を待っていました。
軍艦マーチと共に、なだれこむ僕たち。
予想外なことに、反対側にも入り口があったため、
スロットの島は瞬く間に大混乱。
何人もの人にぶつかりつつ、なんとか確保した台は、
「ザンガス」という台でした。
この台は、フラグが成立すると、激しい音と光が鳴り響くため、
「あれ?モーニング入ってたら、光っているハズなんじゃないの?」
と、やや不安な気持ちになりました。
そんな僕を尻目に、マコトくんは淡々と遊技開始。
が、案の定、誰一人として1ゲーム目にボーナス告知が発生しません。
「マコト、ガセネタじゃねーかよ!」
と思っていたのも、わずか数十秒のことでした。
続々と周りの台から、そして僕の台からも。
けたたましい告知音が鳴り始めて、見事にビッグがスタートしたのです。
そう。
モーニングはモーニングでも「リセット」モーニングだったのですw
当時のスロ事情に詳しい方なら、これが何を意味するのかはご承知の通り。
そして、本日新装。
朝の鉄火場状況の意味が、ようやく理解出来た僕の頭の中には、
カチ盛りのコインが溢れていました。
2時間後。
30台近くある新台のシマには、僕とマコトくんと、ヨレヨレのおじさんの3人w
誰一人として、メダルを交換していった雰囲気がありません。
朝イチの、あの戦争のような台取りの光景が幻のようです。
意識が朦朧としていた僕はさらに、万券を貸しメダル機に投入した後、
メダル50枚だけ取って、おつりの9千円を取り忘れてしまうというポカをやらかし、
その日は結局、大3枚ほどロスト。
「まぁ、そんな事もありますよぉ」
と何のフォローにもならないコメントを残したマコト君は、
シマで唯一と思われる赤差玉台のおかげで、
プラス大3枚でした。
その日、僕が彼に返した言葉は、今でも忘れられません。
「こんな事だったら、君に3マソあげていれば良かった・・・。」
それから4年後。
マコトくんは僕が勤めていた某ハンバーガー屋の近所で、
インチキ臭い携帯屋の店長をやっていました。
「お互い老けましたねー。」という彼のひと事もまた忘れられません。
今は共に働いていたそのパチ店も、インチキ携帯屋もなくなってしまい、
彼は今、どこで風に吹かれているのか知る由もありません。
彼の事を思い出すたびに、
あの日見た鉄火場の事を、
そして閑散としてしまったあのザンガスのシマの事が浮かんでくるのでした。