一応「下ネタ自粛」と謳ったからには、


たまにはそれ一切無しのお話をしましょうか。


数日前に「チロルチョコ」の事を書いている途中で、


ふと、小学生の頃の記憶が甦りました。

なので今日はそれについて書きます。



僕は小さな頃から身長だけは高かったのですが、


体格はかなり貧弱でした。


また仕事で帰宅が遅くなりがちだった母を待つ僕は、


自宅でテレビやゲームウォッチ(←懐かしw)ばかりしていたせいか、


運動能力も他の子に比べて相当に劣っていました。


母も、それを心配したのでしょう。


小学校三年生になると僕は、


同級生も通っている水泳教室に、一緒に通うことになりました。


「あんたはいつも一人で家におったし、


水泳をやれば少しは身体も丈夫になると思って」


後に、母はそう言ってたような気がします。



とはいえ。

そんな母の期待に応えられる程、僕は出来た子供ではありませんでした。

水泳教室のある毎週水曜日は下校時間が近づくにつれ憂鬱でした。


友達は既に長く教室に通っているため、上のクラスにいるのに、


僕は4,5歳の男の子たちと一緒の下位クラスで、


ただただ水に潜ったり、バタ足したりの練習ばかり。


もちろん、マトモに泳げない自分がいけないのですが、


小さな子たちと一緒に練習している、という恥ずかしさと、


そんな自分のレベルの低さに対しての苛立ちで、


「あぁ、早く終わりの時間にならないかなぁ」


という事ばかり考えていました。



そんな当時の僕の唯一の楽しみが、


水泳教室に通う途中にある、駄菓子屋に立ち寄る事でした。


「三島屋」というその駄菓子屋に並ぶ、チロルチョコレート。


半ズボンのポッケから10円玉を2枚取り出して、


三島のオバちゃんに手渡す。


快活な声で、オバちゃんはこう言ってくれる。


「よう来てくれて、ありがとねー!」


その声に見送られてテクテク歩く道すがら、


小さな包装紙を無造作に引き剥がす。


茶色の薄い紙に包まれた、甘いその一粒の味は、


僕のちっちゃな憂いを少しの時間だけ、忘れさせてくれました。



とはいえ週1回のそんな時間を重ねるうちに、


僕はほんの少しずつ、長い距離を泳げるようになり、


1年後。


ようやく25メートルの距離を泳げるようになったのです。


ちょうど、4年生に進級し、クラス替えによって新しい友達も出来、


水泳も理由は忘れたけど、ヤメてしまいましたが、


相変わらず「三島屋」には新しい友達と一緒に通い、


ビックリマンチョコや、プロ野球チップスのような、


シールやカード目当てに買ってお菓子を捨てるという社会問題に、


加担しておりました(僕は、比較的食べてた気がするけど・・・)。




時は流れ、一昨年。


実に17年ぶりに松山を訪れた僕は、「三島屋」を訪れました。


残念ながら、既に営業はされていませんでしたが、


当時の看板や店構えはそのままでした・・・・・が。


店の前をウロウロしていると、


いつの間にか、僕を不審そうに見つめる一人の女性が傍らに。


その姿を見た僕は一瞬、声を失いました。


その人こそ、当時の面影を僅かに残す、


三島のオバちゃんだったのです。


オバちゃんに当時通っていた子供の一人だった事を説明して、


「もう、お店はヤメられたんですか?」


と、あえてわかりきった事を質問したのですが、


「子供らの万引きが多ーて商売にならんけん、


しゃーなしで閉めたんよ。」


と、昔の快活な声からは想像も出来ないような弱々しい声で、


そう僕に教えてくれました。



これから病院へ行ってくる、というオバちゃんに一礼して、


ふと、今の自分の姿を省みる。


小さな店の前に立ちつくす僕を見て、三島のオバちゃんは、


「不動産関係の人かと思った」そうです。


地上げ屋か何かと、間違えられたのでしょうか・・・・・




追伸:ちょっと前にバラエティ番組で、チロルチョコの会社訪問してました。


雰囲気よさそうな職場でした。


これからも、子供たちの記憶に残る商品を作り続けて欲しいです。