久々に、ぱち&すろ回顧録でございますー。
☆前回までのあらすじ☆
砂肝、19歳。
テキトーな気持ちで通っていた専門学校で出会ったパチ&スロ仲間たち。
そんな一人であるマッチーと、何故かよく連チャンするアラジンⅡを打ち、
ますます、スロットの面白さに目覚めて行ったのである・・・。
で、その続き。
相変わらず生活は高校時代とまるで変わらず、いい加減な気持ちのまんま、
通学して、パチスロ打って、バイトして、ゲーセン行ったり酒飲んだり・・・と、
自堕落な毎日を送っていました。
学校のある渋谷では、専門学校のスロ仲間たちとパチンコ&スロット三昧。
ミスターマジックの集中が終わらない事にビビって、
集中の途中で帰ってしまった、オ○サキ君。
今もお元気でしょうかw
さて、そんな中、僕はある苛立ちを抱えていました。
それは勿論、自分の将来について。
こんな生活はいつまでも続きはしない。
学校の授業は、死ぬ程につまらない。
なのに僕は、何故毎日こんな所に通っているのだろう。
とはいえ、足は勝手にパチ屋に向かってしまっていて、
台に座ってしまえば、そんな苛立ちはスッパリ頭の中から消滅する。
そして。
1992年、12月。
パチスロの歴史が大きく動く。
実にこの後、15年近くもの長きに渡って続く4号機時代の幕開けである。
その記念すべき第一弾が、エレクトロコインジャパン(現:エレコ)の、
「チェリーバー」である。
ご存知無い方のために、画像をお見せできないのが大変残念だが、
この台は、15年以上前の台とは到底思えない程に、
筐体のデザインは洗練されていて、絵柄のデザインもすごくカッコイイ。
そしてパネルの左下には、ユニオンジャック。
「さっすが、イギリスから来たスロット台は違うなぁ」
と、ちょっとした誤解をしていた僕は、はじめてこの台に座った時の、
何ともいえない高揚感を今でも忘れません。
大量導入されたシマの中ほどにたった1台、僕を待っていたかのように、
ポッカリと空いた1台に座った僕は、わずか1本でビッグボーナスGET.。
だが・・・・・、7が揃う前に何かが違った気がした。
その「何か」がわからない。
ただ「違和感」があった。
何だったんだ?
4号機初のビッグ終了後、リセットを待たずともゲームは再開される。
(4号機はそれ以前のように、
店員さんにBIG終了後にキーリセットしてもらう必要が無いのだ)
そして慣れないリプレイ。
(リプレイの存在も4号機になってから。最初のうちはクセで、
リプ揃ってんのにコイン入れて下皿戻りまくりw)
たどたどしくプレイする中で、その違和感の正体が劇的に判明する。
「!!!!!」
慎重にゲームを進めていた、まさにその刹那。
リールの中段が、「キラッ!」と一瞬、光った。
「なっ・・・・は、入った!?」
それはあまりにも一瞬で、自分の中で確信は持てなかった。
期待と興奮と不安が入り混じった感情のまま、次ゲーム。
心してレバーを傾けた後で、7を慎重に目押しする。
果たして、右上がりにテンパイした運命の右リールには、
さも当然のように、7・ベル・チェリーバー!
威風堂々、斜めに揃った777を見つめながら、僕は、
「間違いない!ビッグが入ったらリールが光るんだ!!スゲー!!」
と一人、心の中で叫んでいた。
この事実は現在とは違い、雑誌にも事前に記事になっておらず、
ホールで店内告知されている事もなく、
ただただひたすら、驚いた事をよく覚えています。
そして当たり前のように、その魅力にドップリとハマってしまうのである。
(つづく)