★前回までのあらすじ★
黒ずくめの組織に飲まされた毒薬の作用で高校生になってしまった砂肝は、
来る日も来る日もハンバーガー屋でバイトし、稼いだお金でバニー&スーバニを
打ち倒しておりました。そして・・・
1992年4月。
担任の恩情により、多くのサボりを「病欠」扱いにして頂き、
何とか高校卒業の日を迎えた春。
僕はわけのわからない専門学校に通う事にしました。
大学に行ける程の学力も、働く意欲も無かった僕には、
人生を保留するのには最適な選択肢でした。
そしてそこには「どこの大学にも受からなかったから」という理由で、
仕方なく集まった僕のような奴らが大勢、佃煮のように集まっていました。
昼休みになったら当然、昼飯食って一服ついでに、パチンコ。
そんな奴らが僕の周りには大勢集まりました。
正に、類は悪友を呼びまくったのです。
そんな中の一人に「マッチー」がいました。
マッチーは、親からもらった定期代をそのまんま、
「セブンボンバー」(バルテック)に投資するナイスタフガイでした。
癖のある巻き毛、ギョロっとした目。透き通るような頬の色に高い鼻。
ビックリマンのキラシールを思わせる7を鮮やかに揃えるマッチーの容姿は、
同姓から見てもちょっと格好良かった。
そして僕は、ボンバーの実質的な兄弟機である、
「ワイルドキャッツ」(アークテクニコ)を良く打っていました。
まだ、マルハンもガイアもコンサートホールも無い時代の話です。
現在の渋谷は最近社長サンが有名芸能人と結婚して話題の大型グループが
突出していますが、当時は、
・日拓
・綾小路
・大番
・白鳥
・タイガー
などがひしめく戦国地帯だったのです(その他にもあったが思い出せん)。
そして設置機種もまた、王道のコンチシリーズを筆頭に実にバラエティに富み、
バニー&スーバニ一色の高校時代とはうって変わって色々楽しませて頂きました。
で「キャッツ」。
この台は「ビッグフラグ成立Gで777が揃わなかった場合、そのフラグは貯金される」
という特性がある。
この結果「ハマリ台→貯金たまってる→打つ→たまったBIGが連チャンとして放出」
となるのだ。
僕はそんな事はよく知らなかったのだが、セブンボンバー打ちのマッチーの話と、
自分の経験則から、「ハマっても連チャンするから楽しいし安心」という、
半バカな理由で好んで打っておりました。
今思えばこれは4号機のストック機と酷似していますよね。
しかし、内部成立したボーナスを貯金し、後で連続して放出する、というシステムは
当時の規定では完全に違法。
結果的に「キャッツ」も「ボンバー」も検定取り消しとなるのですが、
Bモノ粛清により冬の時代を迎えた3号機末期。
そしてその代名詞とも言えるボンバーが、ある意味冬の時代を感じさせる
5号機時代に「完全告知機」となって再登場したのは、因縁めいたものを感じますな。
そんな感じでマッチーとは別々の店でキャッツとボンバーを打っていましたが、
ある日彼に「一緒に新装に行こう」と誘われたのです・・・
※次回はマッチーと一緒に打った「アラジン2」の話を書きます。
ま、引っ張る程の内容では無いのですが・・・・・