~前回までのあらすじ~
体は大人、頭脳は子供。高校生に戻ってしまった原因を作った
黒づくめの組織を追うことも無く、日々パチンコを打つ砂肝。
パンチパーマの店員さんに「出玉補償」をしてもらった彼は
パチンコ店に出入りする「人間模様」に興味を持ち始める。
はい、そんなわけで相変わらずパチンコ三昧な高校生活の中、
手を出してこなかったパチスロ。
今日はいよいよ、それについて書きます。
そもそも、何故パチスロを打たなかったのか。
理由は3つ。
第一に、百円から遊べたパチンコと違ってスロの投資額は最低でも千円。
当時の俺のバイトの時給は600円ちょっと。つまり怖かったのだ。
第二に、今と違って当時のスロの客層は若い人があまり多くなかった。
ぶっちゃけ、ビビっていたのだ。
第三に、当時「パチンコ必勝ガイド」を愛読していた俺は、田山プロが
モーニング(※)の行列を見て「何故あんなものがパチ屋にあるのだ」と、
憤慨されていた記事を読んでいたから。
その影響で「スロはパチ屋に不要なもの」という認識が強かったのだ。
※モーニングとは、朝イチの集客の為にビッグボーナスフラグを成立させた台を
何台か用意しておくサービス。朝イチ1ゲームでビッグが揃うので、それを求めて
朝からパチ屋の前に並ぶ人が多かった。2000年に事実上、完全に廃止される。
それでも、その日は好奇心がそれらを上回り、
なんとなく店内の一番奥に設置されたパチスロコーナーへ足を運んだ。
幸いにしてその店はモーニングも無く、また住宅街に近い店だった影響か、
あの時代としては客層も比較的おとなしい部類の店だった。
それでも初めてパチスロと対峙し、千円札を投入した瞬間は、
すごい悪い事に手を染めてしまったような、物凄い背徳感があった。
(※まぁ、実際高校生はパチスロやっちゃダメよ。俺みたいになっちゃうよー)
初めてのお相手は、2号機「ビッグバン」(日活興業)。
日活興業といってもロマンポルノとかは全く関係なく(笑)、
現在の社名は、ネット株式会社である。
「リオタソ萌え~」でおなじみの、あのネットですよ(←偏見)。
遊技方法は誰に教わった訳でもないが、
コイン投入、レバーを叩く、ボタンを押す。
それ位は誰にでも出来る事だ。
問題は・・・目押し。
適当に押しているうちに、赤い7が下段にテンパイしてしまったのだ。
細い右リールを正面から見つめる事しばし。
なーんか、コレっぽいなぁ、というタイミングで押してみると、
「スコーン!」
ビッグバンという名前には程遠い、乾いた破裂音と共に、
下段に777が揃ってしまったのだ。
記念すべき生涯初のビッグボーナスの感想は・・・・・
「ビッグが始まった事がよくわからず、だんだんコインが出てきたので
テンパってきた」という情けないものであった。
さらに情けないことに、俺はこれ以降の記憶が完全に欠落していて、
この日勝ったのか、2回目のビッグを引いたのかすらサッパリ思い出せない。
それ位、印象に残らない初打ちであった。
「パチスロってこんなもんかぁ・・・・・」
その数日後、中学時代の悪友に「スロット打とうぜ」と言われた時にも、
イマイチ気分が乗らなかったのもその第一印象のせいだった。
だがしかし、その日に出会ったとある機種のお陰で、
俺はすっかりスロットの虜となるのであった・・・・・