~前回までのあらすじ~
黒の組織に毒薬を飲まされ、体が高校生になってしまった砂肝。
誰にも正体を明かせず、まぁとりあえずパチンコを打つ毎日。
ハネモノや一発台を打つ毎日の中で、ひょっこり座ったデジパチ、
「フィーバーレクサスⅥD」で一撃万発オーバーを叩き出した彼は、
すっかりデジパチの連チャン性に嵌っていくのであった。
・・・・・今回はその続きです。
朝イチ単発回し(止め打ちを駆使して保留玉ランプを点けない)で連チャン狙い、
という事を平日の午前中から行う高校生、砂肝君。
考えたらいろんな意味で店員さんから注意されてもよさそうなものだが、
何故か一度も怒られた事は無かった。
そんな感じで保留玉連チャンの醍醐味を存分に楽しんでいたのですが、
もう一機種。
自分を虜にしてしまう台と出合った。
それが「ファンキーセブン」(西陣)である。
この機種の素晴らしさは、「何から何までとにかくド派手」というところだ。
破裂させた柑橘系の果物を描いたようなセル盤(←わかりにくいな・・・)、
7セグにも関わらず、大きさと2色の色を使用する事でインパクト大のデジタル。
スピード感のあるデジタル回転によるスリリングなゲーム性。
そして、 この機種にはワープゾーンがあった。
(これは現行機種では当たり前なのだが、当時の機種には無かった)
そのため、ステージからチャッカーに入賞する、という玉の動き方が、
大変気に入っていました。
そして。
店内に入るだけで「お!ファンキーセブンのリーチ!」とわかる、
防犯ブザーのように「ズピョピョピョピョピョ」と鳴り響くリーチ音。
これにすっかりはまってしまった。
レクサスのような保留連チャンはないものの、十分楽しめたのは、
ひとえにこの台の完成度の高さのお陰だったと思います。
で、この台を初めて打った日。
そのシマではリーチがかかるたびに、
職業が全く想像出来ない感じの風貌の男性方が、
勢いよく盤面をドツく、という香ばしい光景が繰り広げられていました。
で、左隣に座っていた地井武男似の男性がリーチ時に「ドスン!」。
そうすると、見事に大当たりしたのである。
「なるほど、タイミングよく叩けば大当たりするのかー。」
・・・・・見事に間違った解釈をした俺は、ワクワクしながらリーチを待つ。
そして5のリーチ。
けたたましい音が鳴り響く中、デジタルは2→3→4とカウントアップ。
「今だ!」
5、のタイミングで、ガラス面を思いっきり掌底をカマす。
果たしてデジタルは「5・5・5」で停止し、祝福のファンファーレが!!
「これはイケる!!!」
そう思った俺は、リーチのたびに、ドツキをかますようになるが、
なかなかタイミングがあわず(←誤解)、以後は全く当たらなくなる。
この時も何故か店員さんには怒られなかった。
で、後日。
別の店に「ファンキーセブン」があった。
早速一台を選び、「さぁドツくぞ~!!」と意気込んでいたのだが、
何故か誰一人として台をドツかないのだ。
しかもその店の店員さんは・・・・・
大仏様のような髪型をされており、体重も0.1トンくらいありそうだった。
若くして空気を読む能力に長けていた俺は、おとなしく打つ事にした。
(これ以降、台のドツキは一切ヤメました。あと、知らない人が多いけど、
パチンコの盤面はガラスなので、思いっきり叩くと割れます。絶対ヤメましょう)
百円を次々投入するも・・・・・当たらない。
とりあえずは当たるまで打とう、と思うも・・・・・・当たらない。
所持金が残り少なくなってきたところで、ようやく大当たり。
ラッキーナンバーではなかったので、大当たり後は出玉交換だが、
とりあえず5千円は確保して帰れるな、と思った。
※当時の営業スタイルはラッキーナンバー制(揃った数字によって、
出玉による遊技継続が可能か否かが決まる)が主流だった。
ところが。
ラウンド間に、玉の打ち出しにまごついていた俺は、あろうことか、
3ラウンドでパンク(この時代はデジパチにもVゾーンがあった)。
「ウソだろ・・・・・」
500発強の出玉(この機種は10ラウンド継続で出玉約2,000発)を、
半ベソかきながら、ドル箱に移して、カウンターへ。
さんざんお金を使って、たった千円回収か、と途方に暮れてながらも、
玉を流すべく、文字通り仏頂面のパンチ大仏様の元へ向かうと・・・。
「なんや、兄ちゃん、パンクしたんか!!!」
ものすごいデカい声で叫ぶ大仏様。
もう銭ないのに、追い討ちかけんなよ・・・とう思った次の瞬間、
「しゃーないなぁ、ほんなら・・・・・1,000発追加!!!」
「え???」
あれが店のルールだったのか、
大仏様の独断での判断だったのか、
加えて何故埼玉県なのに大仏様が関西弁だったのか(笑)、
今となってはサッパリわからないが、この一件で俺は、
パチンコと同様に、店内にいるお客さんや店員さん。
そういった人間に対する興味が沸いて来たのである。
そしてそこに大仏様の思惑があったかどうかは知らないが、
俺はこの店の常連客となるのである。