311以降、
日本を見る目が変わりました。
とってもです。
そして動物と原発について、自分は何故こうも無知だったのだろう?と思いました。

日本は豊かだと思われていたかもしれません。
しかし、一部、それは原発作業員の方たちや、動物たちの犠牲の上に成り立っています。

日本は、もっと質素な生活である方が本来の姿ではないかと思います。

今のままでは、多くの犠牲の上にあぐらをかいているような、
精神の貧しさ、
存在する価値ってあるの?
と思いました。



動物たちが日本人の生活にとって切っても切れない存在になっている。
それは、衣食、医療に深く関わっていて、
人間が毎日、その為に動物たちを利用し、そのやり方はあまりにも残忍なことを知りました。

ファッションや化粧品など、薬に関しても、不必要に、虐待、殺戮が繰り返されていることが分かりました。

人間はまるで血に飢えている?とさえ思います。

動物愛護を求める声が無視されるのも
まるで、
「人間とは残酷が必要な生き物だ。それは暗黙の了解ではないか。それを分からないで、愛護を訴えるおまえたちは困った存在だ」
とまるでこちらが世間知らずでもあるかのように感じます。


震災後、どなたかがブログで
「残りの人生を動物たちのために使いたい」
と仰っていたのが忘れられません。


私もまだ間に合うだろうか?

ヴィーガンという言葉も知り、

今、何故この世の中なんだろう?と思い、
古い本ですが、読んでみました。
私の欲しい答えはなかったのですが

メモを幾つかに分けて、残したいと思います。



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『肉食の思想』1966年初版
著者:鯖田豊之(さばた とよゆき、1926年―2001年10月25日)
幼年時代、牛肉が好きだった著者は「牛肉とは牛の肉のことだ」途端に、肉類が一切喉をとおらなくなった、という方です。


おおまかに読解したところでは、

各国の食料事情とは
自分の胃を満たすものを‘どう調達するか?’という事が、肝心のようです。
日本は農耕に適した土地柄で菜食に。
ヨーロッパは、農耕に適さず、牧畜に適した土地柄なので、肉食に。(作物が獲れないので、動いているものを食べるしかなかった)

昔は選べる余裕がなかったのですね。

そして、ヨーロッパでは、肉食を正当化するために、キリスト教を利用(?)しています。

キリスト教の世界観が、自分たちと他を断絶する。排他的、優越…という話しになっていきます。


また、家畜が食べる肥料を人間に回すべきだとの考えも出てきます。

実際、第二次大戦後の日本国内での食糧難を補うために、占領軍は日本人の為にアメリカから家畜用肥料を輸送し、日本人はそれを食べたそうです。



著者は、キリスト教に疑問を持っていたのかな?

「1537年、ローマ法王パウロ3世が、インド人や黒人や新大陸のアメリカ土着民も「ほんものの人間である」とおごそかに宣言した。

第一回十字軍(1096―1099)の時の残虐さには眼にあまるものがある。

もし、異教徒を自分たちと同等の人間と見なす意識があれば、このような残虐さは起こり得ないはずである。

こうした事は過去の悪夢になりつつあるが、精神構造だけを問題にすれば、事情はそう変わっていない。
ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人のあいだには、一線がひかれたままである。」


湾岸戦争でも相変わらずでしたね(米軍ですが)その後も…


「私たちは、欧米諸国に妙な劣等感を持つことを止めて、本当に日本らしい生き方はどういうものか、腰をすえて探ってみる必要があるのではなかろうか」
と締めくくっています。

著者は35年後に亡くなってますが、その後の日本をどう感じていたのか?聞いてみたいです。

日本人は変わっちゃったんだなぁ



でも、良い方向に変えていけるのも人間…

we are here to change the world
やっぱり、これです