砂場 -4ページ目

砂場

本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

空腹の技法 (新潮文庫)
ポール オースター
新潮社
売り上げランキング: 329356


ポール・オースターのエッセイ、序文、評論、インタビューなどが収録されている。半月以上この本を少しづつ読んでいた。それは、詩の評論など、僕にとっては難解な部分が多くて、うまく咀嚼して飲み込むことができなかったということと、たとえ全てが理解できなくても、そこには胸に突き刺さってくる言葉が溢れているからだった。

岸に寄せてくるのは波じゃない。一回ごとに海全体が寄せ、海全体が引くんだ。決して単なる波ではない、つねに全てが寄せ、つねにすべてが引く。
P220(インタビューにてエドモン・ジャベスの言葉)


文学、詩、絵画、ときに綱渡り師について深く熱く語る。詩人にインタビューをして、自分もまたインタビューされる。文学・詩の素晴らしさを誰かに伝えようとする言葉をどこまでも突き詰めていくとき、それはまるで詩のようになっていく。それはポール・オースターが愛する作家や詩人について述べた言葉なのか、その影響を受けたポール・オースター自身が生み出した言葉なのか、僕はその区別がつかなくなっていき、ただ圧倒される。

詩。そして、にもかかわらず、詩。それは壁を掘り抜く力。そして、にもかかわらず、それこそが壁になってしまいうる。おのれがならねばならぬもの、おのれがなりうるもの――ひとつの移行、他者へのひとつの接近――になるために、詩は自分が自分でないことを知ることからはじめなければならない。どこか離れた場所から語っていることを、詩ははっきり認めなければならない。
P26

空間のなかの体。そして、この体と同じくらい自明の詩。空間のなか。すなわち、この真空。天と地のあいだの、どこでもない、一歩ごとに再発見される場所。どこにいようと、我々がいる場所に世界はない。どこに行こうと、我々は自分で自分の先回りをしている――あたかも世界がそこにあるかのように。
P236


ここでポール・オースターが絶賛する詩人たち僕はほとんど知らないし、引用された詩を読んでも残念ながら難解でよくわからない。けれど、ポール・オースターの言葉のいくつかは僕に届いている(ような気がしている)。その受け取った断片を頼りにして、全体の意味を想像していく。ここまで理解できないとそれは「想像」というより「創造」に近づいていく。だから、この本は何度でも読めるし、読むたびに今までと違った何かを発見することができる。それは僕にとって「空腹(からっぽ)」だからこそ生み出される「技法(アート)」なのかも知れない。
Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
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松本 大洋
小学館 (2011-08-30)


松本大洋は新作ごとに新境地を切り開く。どの作品も方向性が違うから優劣をつけることはできないが、この『Sunny』は松本大洋の新たな代表作となることは間違いないだろう。今までも一話ごとに残る余韻は他のマンガよりも大きかったが、今回の余韻は尋常ではない。はやく次の話を読みたいと思っているのに、僕は一話読み終えるとしばらく次のページをめくることができなかった。

第1話
「横浜ってどこにあるんやろ?」
「知らんわ、東京の辺ちゃうか」
第2話
「ドラキュラの爪てなんで長いんやろ?」
「そら切らへんからや」


年に数回だけ親と会える日があるので孤児院というわではないけれど、それぞれ何か理由があって親元を離れた子供たちが暮らす『星の子学園』を舞台とした群像劇。近くに打ち捨てられているSunnyの中でハードボイルドな空想にひたるやさぐれた春男。キラキラしたものが好きで時に他人のものも盗んでしまう無邪気な純平。新入りで本ばかり読んで自分の世界に閉じ込もっている静(せい)。この3人がメインキャラのようだけど、この3人以外を中心とした物語もいくつもある。

第3話
「女子はなんですぐ泣くんやろ?」
「おんなの涙は、ほぼ無敵なんや」
第4話
「大人になったら何になりたい?」
「スパイでレーサーでボクサーのチャンピオンや」


ひとコマひとコマが細部まで描きこまれ、その緻密で独特な背景が世界を浮かび上がらせる。大阪弁のぶっきらぼうな会話、乱暴な言葉づかいの微妙なニュアンスで登場人物たちが絶妙に描き分けられていく。けれど、こんなにもひとコマの情報量が多いのに、『星の子学園』の子供たちがそれぞれどういう家庭環境でここに来たかはほとんど説明されない。子供たちはそれぞれつらい過去を背負っている。何気ない言動や行動からそれは滲みでてくる。そして子供たちはそれぞれ自分たちの将来に大きな不安を抱いている。語られない過去。見えない未来。この『描かれない』ということを『描きだす』ことによって、一話ごとに読者は宙吊りになり、圧倒的な余韻に繋がっていく。

第5話
「夜来て泣きたなったら、どないする?」
「オレ、歌うわ」
第6話
「きょうの晩ごはん、なんやろ?」
「みつこさん、コロッケや言うてたで」


物語は一話完結でそれぞれちゃんと山場がある。けれど、その山場を超えたあと、物語としては完結したあとで、子供たちの日常が数ページ描かれる。そこには過去と未来の間に垣間見える今という瞬間がある。まだ何も終わっていない、まだ何も始まってもいない、そんな今がある。


誰かに認められること。自分で自分を認めること。人は承認を欠いたとき、心が不安定になり、自分を見失っていく。そこに承認があれば、苦しい状況でも絶望に捕らわれず生きていける。誰からも認められなければ、どんな栄光を手にしても虚しい。

この本では現代社会がいかに承認を得ることが困難であることを丁寧に検証していく。昔、友人に「なんで人は宗教なんて信じるんやろうなあ」と何気なく聞かれて困ったことがあった。その時は「まあ、どうしようもない事があったら神頼みしかないからなあ」と適当に答えてしまったが、「それは自分を認めて欲しいからやな」と承認の重要性について語っていれば、その友人は数年後にネッ○ワークビ○ネスに片足突っ込んだりしなかったかも知れない。

宗教的信仰は大きるゆらぎ、政治的イデオロギーへの信頼も失墜し、文化的慣習も流動的になっている。社会に共通する価値基準は崩壊し、価値観は多様化しているため、自己価値を測る価値基準が見出せない。一方で、自分らしく生きるべきだ、という考え方も広まっているが、なかなか「自分はこれでいい」と思えない。そのため、身近にいる他者の直接的な承認にすがるよりほかに術がないのだ。
P132-P133


この生きづらい社会をいかに生きるか。最終章はそのための方法として「自己了解」と「一般的他者の視点」という二つを提案している。自分の不安や欲望に気づき、それを分かった上で自分の行動を決定する(自己了解)。今までと同じことをするにしても、自分で選んだことにより、自由であるという意識が生まれ、また改善の余地が生まれる。そして、多様な価値観を受け入れ「一般的他者の視点」を身につけることにより、身近な人間の特定の価値観にだけ縛られないようにする。これらを実践する方法がかなり詳しく書いてあり、この章だけで、凡百の啓蒙書よりも役に立ちそうな内容になっている。

読んでいて、思いだした三木卓と福田恆存の言葉を引用しておく。

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。
『人生論ノート』P64

なんぴとも孤立した自己を信じることはできない。信じるにたる自己とは、なにかに支えられた自己である。私たちは、そのなにものかを信じているからこそ、それに支えられた自己を信じるのだ。
『人間・この劇的なるもの』P102

こうしてブログをしているのも認められたいからなのだろうなと、常々思う。他者と自分と。



■引用元
人生論ノート (新潮文庫)
人間・この劇的なるもの (新潮文庫)
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
高橋 昌一郎
講談社
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いくら議論を尽くしても答えに辿りつけない。仲のいい友人たちと飲みに行くと、時事問題などで議論が白熱することがあるが、いつも答えなどでない。もっと様々な知識を得て、感情的にならず、理性をもって話しあえば、答えが見つかるはずなのに(と思いながらもう10年以上も同じようなことを繰り返している)。

けれど学問の世界は違う。そこには絶対的な「問い」があり、隙の無い論理の積み重ねで完全なる「答え」にたどり着く。そう思っていた。今現在、答えの見つかっていない「問い」でも、いずれそこに「答え」が発見されるのだろうと。この本は「選択の限界」「科学の限界」「知性の限界」という3部構成の討論形式になっている。

専門家から一般人まで様々な視点によって問題を深く検証していき、その結果、答えは見つからない。これは学術的にはとても悲しむべきことなのだろう。だけど、僕はなんだか嬉しかった。そうか答えはないのかと。この本を10年前に読んでおけば、あんな不毛な議論ばかりしなくてもよかったのに。
図鑑少年 (中公文庫)
図鑑少年 (中公文庫)
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大竹 昭子
中央公論新社 (2010-10-23)
売り上げランキング: 424021

都会で一人暮らしの女性の、これは手記なのか妄想なのか。日常を描いていると思って読んでいると、いつのまにが白昼夢に紛れ込んでいる。

見知らぬ人からの電話。宅配便の誤配。恋人は雑踏に消え、迷い犬が目の前に何度も現れる。全ては鮮明に存在するのに、気がつけば何かを見失い、違う何かを見つける。

日常が現実を踏み越えていく。そもそも何が現実なのだろうか。現実が揺らぎ、日常が揺らぎ、私が揺らぐ。読みながら眩暈がした。

 修理人はガス釜に点火し、作業衣のポケットからセブンスターを取りだした。いきなりタバコを吸うなんて、どういうつもりだろうと怪訝に思い見ていると、形のいい唇にそれをくわえて火をつけた。狭い浴室にこもった煙の流れ具合をじっと見ている。どうやら修理と関係あるらしかった。それにしてもなんとおいしそうにタバコを吸うのだろう。
P112