『とにかくうちに帰ります』津村記久子/新潮社
表題作をもし通勤電車で読んだ人は誰もが「うちに帰りたい」と思うだろう。自宅で読んだ人は「うちにいる自分」の幸せさを噛み締めることができるけど、自宅にいるにも関わらず「わたしもうちに帰りたい」と頭によぎって自分にドキッとする人もいるかも知れない。
この本には、深刻でありながらも、どこの職場でもありそうな出来事を淡々と描いた「職場の作法」。自宅のテレビで偶然みかけて気に入ったマイナーなフィギュアスケート選手のニュースを追いながら、同僚のことをそこはかとなく気にかける「バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ」。豪雨で帰宅難民となった人たちを描いた「とにかくうちに帰ります」が収録されている。
月曜日に、体がだるくて鼻水が止まらないので会社を休み、鼻水の薬をもらいに病院に行って、待合室の長椅子に座って朝のワイドショーを見ながら、他の患者(主に老人)が診察室に吸い込まれてゆくのをじっと待っていた。
P43「職場の作法 小規模なパンデミック」
僕は津村記久子の描く文章のリズム、言葉の選択がものすごく好きだ。煽るでもなく、抑制するでもなく、淡々とした文章の積み重ねが、リアルな日常の空気をつくりだしていく。ここで語られるのは、相手の態度によって頼まれた仕事の優先順位を操作する同僚とか、自分のお気に入りの文房具を先輩社員が持っているのではないかとか、インフルエンザが流行しているのにマスクをせずに咳をしている同僚がいて困るとか、親戚が有名人なだけでやけにからんでくる上司がウザイとか。読みながら何度も小さく頷く。ときどきニヤニヤ笑ったり、ふとページを閉じて自分のことに置きかえて物思いにふけってみたり。
表題作の「とにかくうちに帰ります」は豪雨によって孤立した埋立洲で帰宅難民となったたOLとその同僚、サラリーマンと塾帰りの子どもが歩いて長い橋を渡って駅を目指す。豪雨の中で体温を奪われる体力を失っていく登場人物たち。疲労困憊のなか歩き続ける理由はそれぞれ違うのだが、その目標は4人とも同じ「とにかくうちに帰りたい」。
家に帰る以上の価値のあるものがこの世にあるのか
P154「とにかくうちに帰ります」
この言葉を自分自身に問いかける主人公が同僚とする会話は、帰ってから見たいテレビや食べ物の話ばかりなので、まるでこの世の中で最大の価値があるものがテレビや食べ物のように思えてくる。このあたりが津村記久子の真骨頂だなと思う。日常を日常のまま描く。日常のなかに何か特別なものを見つけたりしない。ただ日常がそこにある。いろんな出来事は変わらない日常に回収されていく。読み終えると、自分の日常の景色が今までよりも鮮明に見える。何かが大きく変わるわけでもない。でも、それがいいのだと思う。それでいいのだと思うことができる。