自分が有名になるために、今にも死にそうな有名な老画家の評伝を書こうとする、とことん嫌な奴が主人公。だが、クセ者揃いの登場人物に翻弄されてばかりの主人公。それでも自分の能力と未来をとことん過大評価している主人公は、周囲に迷惑をかけながら全力をだす。はたして主人公の不埒な目的は達成されるのか、老画家は元恋人に会えるのか。感情移入しづらい登場人物ばかりで、純文学的なとっつきにくさあるものの、慣れると味わい深い人たちばかりで、共感できない面白さがある。終盤の盛り上がりと物語の収束させかたなど、見事にエンターテイメントになっている。実際に身近にいたら神経をすり減らしそうな偏屈な人たち親密な関係が築けるというのも、読書の醍醐味のひとつだろう。「グッパイ・レーニン」の監督によって映画化予定。
金物屋を荒らす連続事件を追う名刑事をはじめ、数多くの登場人物が入り乱れる町を、メタミステリーの視点で描くミステリー。著者は文学実験集団「ウリポ」の一員の詩人&元数学教授。ことあるごとに「著者」や「語り部」などが登場して、いかにしてどういう意図でこの小説(この部分)を描いたのか説明したりする。出版社注とか校正者注などもたびたび挿入されるなど、実験小説的な部分が強いので、まともなミステリー小説だと思って読んだら痛い目にあう。こちらも個性的な登場人物ばかりで、群像劇としてはとても楽しめる。冗談小説好きの人はぜひ。
ブッカー賞作家ジョン・バンヴィルが別名義で書いたミステリー小説。ミステリー的な設定・手法を使いながらも、単なる謎解きが目的ではない、深い人間ドラマを描いている。ミステリーとして事件を探っていくのだが、真実がひとつ明らかになるたびに、その代償として登場人物たちが傷を負っていく。冒頭とはまるで別人になった人たちが物語のなかで、現実に押しつぶされてゆく。今後、ベンジャミン・ブラック名義の作品がでたら必ず読むことに決定。
台風の夜。ボロボロになった男が半生を語る。オタクコミックチェーン店に就職してエロマンガを売る会社生活での苦悩。我侭な父親と遊んでばかりの姉、引きこもりの義兄。「空気を読む」ことにより、暗黙のうちにつくられた人間関係…。深読みすれば、さまざまな解釈が浮かび上がると思うが、この物語はそれを拒絶しているようにも思える。「空気を読む」ことの違和感を描いた物語で、その暗喩や隠喩を意味を探すなど、まさに「空気を読む」ことにほかならない。その人生のありのままを語り、そこから何かを察するのではなく、その事実をそのまま受け入れることの意味。
舞台は1616年の極北。鯨漁を終えた船かあ降りて、ひとり氷の世界で冬を越すことを選んだ男。難産により妻と子を失った絶望に押し潰されそうになりながら、過酷な自然と圧倒的な孤独を生きる糧として生活していく。「孤独」が自然との一体感を生み出し、過酷な生活で生き延びることが「生きる」ということの意味を変ていく。はたして彼は強い人間なのか、弱い人間なのか。彼の数奇な生涯は多くのことを考えさせられる。彼は「希望」を拒絶したからこそ「生きる」ことができた。悲しみを乗り越えるのではなく、悲しみを抱いて別の人間へと生まれ変わっていく。彼は強い人間だったのか弱い人間だったのか、彼は幸せだったのか彼は不幸だったのか、そんな二項対立はことごとく崩されていく。
アラスカにユダヤ人特別区ができたという架空の現在を描いている。を受賞した純文学作家が歴史改変というSF小説的な設定を使って、ミステリーの手法で描いたジャンル横断小説。(ちなみに、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞という主要SF3賞を受賞している)。有能な刑事でありながらも酒びたりの生活を送る男が主人公が、チェスの天才だった若者の死体を見つけることから物語が始まる。複雑な要素が絡みあって読みどころは満載だが、読み進めていくと「故郷喪失者」というものが様々な角度から描かれていることに気付かされる。ここでは誰もが帰る場所を失っている。どこかで無くしたのか、そもそも存在しないのか、忘れてしまったのか。そもそも、どこが故郷なのだろうか。
堅物の学者がイエメンの川に鮭を導入する奇想天外なプロジェクトに巻き込まれていく。手紙、Eメール、日記、新聞、雑誌、議事録、未刊行の自伝などの文書で構成されている。最初は無謀な企画だと一蹴するも政府の圧力で嫌々足を運ぶことになり、そこからしだいにプロジェクトに没頭していく。それぞれのキャラが立っていてドタバタ喜劇の面白さを維持しながら、成長小説としての主人公の変化や、信じることの大切さなど、気がつくと物語りに引き込まれていた。直球ユーモア小説かと思っていたら、いつのまにか変化してきたボールに胸元を抉り取られてしまうような快作。こういう小説ならいくらでも読みたい。
途中までは「教養」というものが世界の歴史のなでどのような位置づけであったかという、「教養の歴史」が書かれていてとても勉強になる。だが、著者の主張の部分になると、とたんに親父の正論のようになる。
春日 俺はビデオデッキを裏切り者と怒鳴って捨てたこともあるからさ。P33
穂村 脚がたためない椅子があるとすると、何とかできる奴は、「ストッパーがあるはずだ」と考える。(中略)でも僕は「脚が折れない」という場所から一歩も前に進めなくて、次にいきなり祈りとか呪術的な手法にいっちゃう。P74
春日 努力しない奴もむかつくし、努力してますという奴も嫌だ。ほんと、いやなものだね、努力って。
P81穂村 借金があるけど貯金もあるとかきくと、大人だなあと思う。それがなざ相殺されないかいまだにわからないけど。そういえば、僕がレジでお金を払っていると、どうも本物のお金という気がしないと友達に言われたことがあってさ。P187
穂村 「どんな物件をお探しですか」と聞かれて、「映画に出てくるような素敵な家」と答えてシーンとされたし。P197
違和感だらけの世界のなかでもがき苦しむ歌人・穂村弘と、同じく違和感を覚えながらも開き直って生きていく精神科医・春日先生の対談集。この2人で面白くないはずがない。
幸せを求め、感情を優先させ、痛みを取り除いた先に、人間社会はいったいどうなってしまうのか。事故で失った子供を蘇らせるクローン技術を否定できるのか。愛するものを失った悲しみを、薬で取り除くことの是非。生まれてから死ぬまで共に人生を歩み、自分にとって最も大切な存在がロボットであるということ……。SF小説で描かれるホラー社会は、もうフィクションではないという現実がある。幸せを追求する社会が、人間らしさを失っていくことに警鐘を鳴らす内容だ。
アメリカの大学銃乱射事件の現場に追悼のため、被害者の数である32個の石が置かれた。そこに自殺した犯人のため33個めの石を誰かが置いた。誰かが石を取り除き、また誰かが石を置く。そのひとつの石に人間社会の希望を見いだす著者のまなざしに胸を打たれる。










